ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『レニ』(1993) レイ・ミュラー:脚本・監督

 ドイツの映画監督、写真家、女優として知られたレニ・リーフェンシュタールは、とりわけヒトラーがドイツの政権を取ってから終戦まで、ヒトラーナチスに協力した記録映画を撮ったことで知られ、戦後は「戦犯」にこそならなかったが、ナチスの協力者として長く非難、黙殺されていた。

 レニはこのドキュメンタリーの頃に回顧録の執筆を開始していたが、同時に、映像として自分の人生のドキュメンタリーも製作しようとする。つまりこのドキュメンタリーのそもそもの企画は、レニ本人によるものである。しかし多くの映画人、映画会社はレニと関りを持つことを警戒し、ようやくこのレイ・ミュラー監督が引き受けることになる。
 レニは終戦までの自分の記録にしようと思っていたらしいが、レイ・ミュラー監督は、この撮影時げんざいまでのレニの姿を捉えることとし、作品は3時間を超える長さになった。

 レニは舞踊家からアーノルト・ファンクという「山岳映画」監督の下で映画俳優になり、数本の映画に出演するうちに「映画の撮り方」を学ぶことになる。当時隆興しつつあったナチスヒトラーに連絡を取り、ナチスの党大会を撮影した『意志の勝利』で名を成す。さらにベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を、ナチスのバックアップの下、予算、経費に気をつかわずに撮り終える。
 『オリンピア』のあとは自ら主演する映画『低地』の製作中に終戦を迎え、いちどは連合軍側に逮捕されるが無罪判決が下される。
 しばしの沈黙の後、1960年代にはアフリカ旅行からスーダンのヌバ族に出会い、ヌバ族の取材を続けて写真集を出版する。さらに彼女は70歳を超えてからスキューバ・ダイヴィングのライセンスを取得、今度は水中写真に打ち込むのである。

 この映画の完成した1993年には彼女は91歳だったが、長寿を全うされ、2003年に101歳で亡くなる。

 レニがこの「映像版自伝」とも言える作品でいちばん訴えたかったのは、自分の「映画監督」としての才知から、どのようにして『意志の勝利』や『オリンピア』を撮ったのか、じっさいの作品の映像と残されていたメイキング映像を使ってその演出法を知らしめること、そしてそんな中で自分がヒトラーナチスと「深い関係」にはなかったことを示すということであったろう。
 そういう意味で「自己弁護」のドキュメンタリーにするつもりだったのだろうが、監督のレイ・ミュラーはレニの言いなりになるだけの人間ではなく、レニに直接のインタビューを試みながら、レニの語ることで矛盾の残る箇所も提示している。例え彼女がナチスヒトラーから距離を置いていたとしても、戦後に彼女がアフリカのヌバ族を撮った写真には「親ファシズム」の精神があるのではないかとの疑問を、ダイレクトに彼女にぶっつけ、それらを『オリンピア』で彼女の撮った「肉体賛美」と重ねて提示してもいる(この論点はスーザン・ソンタグが問題にしていた点である)。

 レニが卓越した映画演出者であり、『意志の勝利』や『オリンピア』において記録映画の演出の概念を変える方策を編み出し、インパクトの強い映像を生み出していたことは間違いがない。それらのことはこの『レニ』を観るだけでも十分に観客に伝わると思う。レイ・ミュラー監督はそのあたりをしっかりと、丁寧に描いている。
 しかしこの作品から、彼女とナチス党及びヒトラーとの関係は彼女自身が語るようなものではないだろうことが想像出来る。レニはヒトラーの「我が闘争」は通読していなくて、1、2章読んだだけだというが、当初の彼女のヒトラーへの心酔ぶりからはにわかに信じられないし、レイ監督に「ゲッベルスとは不仲だった」と言ってすぐ、レイ監督はゲッベルスの遺したメモにレニの名前が何度も出て来て、ひんぱんに会っていたことが示される。レニは「ゲッベルスの嘘だ」というのだが。
 また、レニは『意志の勝利』で関わったナチス党大会について、その大会のメッセージは「平和」だと了解したという。
 ナチスによるユダヤ人迫害、その大きなあらわれであった「クリスタル・ナハト」のとき、レニはアメリカへ向かう客船の客人であった。船中でこの報道を聞いたレニは「ナチについてのアメリカの報道は事実ではない」と語るのだが、ニューヨークに着いてみると新聞には子細な記事もあり、同じ面にレニの発言も掲載されていたという。
 わたしは強く思うのだが、もしもレニがナチス党の中に「平和」のメッセージを読み取っていたのなら、このときレニは裏切られたわけだ。それでそのときせっかくアメリカに渡っていたのだから、彼女はそのままアメリカに亡命すべきだったと思うのだ。そうすれば彼女のヒトラーナチスとの関係も、彼女がそのままドイツに残ったことよりは悪く言われなかったのではないのか。しかし「クリスタル・ナハト」のあと彼女はドイツに帰り、ヒトラーナチスの「パリ入城」のとき、レニはヒトラー宛に熱烈な賛辞の電報を送っているのだ。

 まあこ~んな調子でどこまでも続くので、「ここでのレニの発言はおかしい!」とか書き続けても仕方がない。しかし、映画のラストでレイ・ミュラー監督はレニに、あなたが「わたしは間違っていた、すまない」と言うのをドイツの人は待っているのでは?と問われたとき、レニは「<すまない>では軽すぎるでしょう。でも死ぬわけにもいきません」とすべてを自分の内面の問題とし、あくまで「すまない」と頭を下げることを拒否し続けるのである。はたして、彼女にとっては戦争で亡くなった人たちのこともすべて、彼女の「内面」の問題で終わらせるのだろうか。ドイツの人々は、レニが「すまなかった」と言えばそれで納得する部分もあるのだ。彼女だけの問題ではないだろうに。
 このあと彼女はカメラに向かって「一体どう考えたらいいのです?どこに私の罪が?『意志の勝利』を作ったのが残念です。あの時代に生きた事も。残念です。でもどうにもならない。決して反ユダヤ的だったことはないし、だから入党もしなかった。言って下さい、どこに私の罪が?私は原爆も落とさず、誰をも排斥しなかった…」と語るのだが、そのことの判断はすべて、観る観客に委ねられているだろう。

 もっと書いておきたいこともあるが、長くなるのでこのあたりで。