複数の原作(ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最期の12日間』、トラウドゥル・ユング『私はヒトラーの秘書だった』)があるとはいえ、というか、この原作を見事な脚本にまとめ上げた脚本のベルント・アイヒンガーの手腕がすごい。ベルント・アイヒンガーはドイツのさまざまな名作映画の製作にかかわった人物だけれども、アメリカに渡ったあとの2011年に61歳で早逝されてしまわれた。
監督のオリヴァー・ヒルシュビーゲルは、今も意欲的に社会派の作品を撮り続けておられるようだ。というか、前に観た『レニ』ではないが、ドイツの監督は怖気づいてこんな作品は撮りたがらなかったのではないだろうか。それはヒトラーを演じたブルーノ・ガンツにせよ同様だったのではないだろうか。
映画は、そのヒトラーの秘書となったトラウドゥル・ユング(アレクサンドラ・マリア・ララ)が、1942年にヒトラーとの直接の面接で「秘書」に選ばれるところから始まるのだけれども、すぐにあいだをすっ飛ばして、いきなり1945年4月20日、もう「あと12日だよ!」というところにワープする。
すでにヒトラーらは「総統地下壕」に移っていて、「もう勝ち目はないね!」というところになっている。側近らはヒトラーに「ベルリン脱出」を進言するのだけれども、ヒトラーはあくまで「敵を攻撃せよ」と攻撃に固執する。「それは無理」と言われ、ヒトラーは「いつも軍隊はわたしの邪魔をして来た!」とキレ、「ベルリンを出るぐらいなら自殺する」と宣言するのだ。
わたしなどは、日本がどのように連合軍に降伏したのかはある程度のことは知っているけれども、これがドイツだと、ヒトラーが自殺したことは知っていても、そのあとどのように「終戦」となったのか、正直言ってほとんどわかっていない。日本の場合は「原爆」を投下され、圧倒的な数の国民が殺されたことで「これはもうダメだ」となるのだが、ドイツの場合はドイツ国内にソヴィエト軍が攻め入っていて、もうベルリンでもソヴィエト軍が「戦闘状態」にあるのだ。
ヒトラーはある意味「無責任」に、あとのことは放置して勝手に死んでしまうのだけれども、残されたドイツの人々は「ドイツ」として「降伏」したのだということを、少なくとも攻め入っているソヴィエト軍に伝えないと、いつまでも街のドイツ人はソヴィエト軍に殺害され続けるのだ。そういうところは日本とも、イタリアとも違う状況だったのだなあと思う。
興味深かったというか、恐ろしいことだと思ったのは、ゲッベルスにせよヒトラーにせよ、側近からの「まずは国民の命を救わなくては」という助言に、異口同音に「彼らが我々に(運命を)委ねたのだ、自業自得だ」と言うのである。
おそらくはゲッベルスなりヒトラーなり、そういう発言をしていたのだろうと思うが、「選挙で勝ち上がった権力者」というものは、よ~く見極めないとこういうことを言い出すのだ。例えばアメリカのトランプなどはいかにもこういうことを言い出しそうだ。
しかしゲッベルスの妻は、自分の子供たちを「非ナチの世界で生きさせたくない」と、さいごには四人の子供たちを睡眠薬で眠らせ、そのあいだに口に毒薬カプセルを含まされ、死んで行くのだった(いちばんショッキングで、悲しいシーンだった)。
ヒトラー死後の危うい状況でも、この映画の「視点」になっているトラウドゥル・ユングは生き延びて、この映画のラストに本人自らが登場し、「若かったというのは言い訳になりません。目を見開いていたら気付けたのです」と語るのだが、彼女が「戦争犯罪人」と見做されることはなかった。
わたしはこのことを先日のレニ・リーフェンシュタールの言葉と比較したいのだが、レニはこのようにトラウドゥル・ユングのような言葉を発することもなく、ただ「私だって苦しんでいるのです」と言うのみで、謝罪することはなかった。
わたしは問いたい。はたして、自分と「世界」に対して誠実だったのは、どちらの女性であっただろうか?
ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツは、エキセントリックで神経症的な人物を見事な演技でみせていたと思う。特に痙攣するような手の指の動きなど、この人物の異様さを感じさせるに充分だったと思う。
映画全体の演出も、このものすごい「閉鎖的状況」の中での様々な人々の苦しみを描き、まさに「ドイツの悲劇」というものを描き出していたと思う。
また、この日本にも「終戦」を描いた映画作品はいろいろあることと思うが、日本の場合「いったい誰がこの戦争の責任者だったのか」ということが曖昧なままであっただろうし、「映画」としてだけでなく、戦後の日本の政治でもそ~んなヤバい状況は続いているだろう。そしてそれはアメリカの意向なのかもしれない。