ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』(2014) デニー・テデスコ:監督

 この朝ブライアン・ウィルソンの訃報を読み、彼のことを偲ぶ意味でも何か彼に関するドキュメンタリーを観ようと思ったのだが、自分で持っているこのDVDを観ることにした。

 この作品の監督のデニー・テデスコという人は、ギタリストのトニー・テデスコの息子さんで、その父のトニーが肺ガンに冒されているとわかり、その父の若き日の活動を記録しておこうと撮り始めたのがこの作品。彼と同時代的に活躍したミュージシャンらを集め、インタビューを試みて編集しているのだけれども、つまりそのトニー・テデスコらは、60年代から70年代初頭にかけて、ロサンゼルスを中心にポップ・ミュージックのレコーディングに参加したセッション・ミュージシャンらであり、プレスリーの時代からカーペンターズの時代まで、信じられないほど多くのヒットソングの裏方ミュージシャンとして演奏していたのだ。彼らの名前は決して表面にあがることもなく、後から聞いて「え? この曲もあの曲も彼らが絡んでいたのか?」とおどろくわけである。総勢二十人とも三十人ともいわれる、「レッキング・クルー(壊し屋)」と呼ばれた彼らの、その全貌とはいわぬまでも、知られることのなかった姿を紹介し、また、ヒット曲レコーディングの裏話満載の、実に興味深いドキュメンタリーである。

 ブライアン・ウィルソンが『Pet Sounds』を制作・レコーディングするにあたり、本来のビーチ・ボーイズのメンバーではなく、この「レッキング・クルー」のミュージシャンを起用し、さらにそれまでのポップ・ミュージックでは使用されることのなかった楽器をフィーチャーしたことは今ではよく知られたことで、「レッキング・クルー」なくして『Pet Sounds』はなかっただろうと思えるが、その前からビーチ・ボーイズとしてのレコーディングには「レッキング・クルー」の連中が参加していた。この映画でもタイトルのあとにじっさいにブライアン・ウィルソンが登場し、「彼らは業界を支えていた。ガッツがあったし、ロックのノウハウを知り尽くしていた」と語るのだ。
 映画のなかではスタジオでのブライアン・ウィルソンと「レッキング・クルー」の連中との作業も語られるが、ブライアンはスタジオで彼らと対話するなかで曲のイメージをつくりあげていたと語る。特にビーチ・ボーイズのヒット曲「California Girls」でのキャロル・ケイのベースを「天才的」と賛美しているし、この映画のなかでではないが、キャロル・ケイ自身もブライアンとのレコーディングを楽しみにしていて、「California Girls」は彼女にとっても最高のプレイだったと回想していた。

 映画はそんな「レッキング・クルー」のメンバーらが集まっての当時の回想、個々のメンバー、そして彼らのバックでレコーディングしたシンガーらへのインタヴュー、そして当時の多くの写真、映像から成り立つが、つくったのが本職の映画監督ではないということもあり、統一性に欠けるというか、ただ膨大な資料、インタヴュー映像をら列しただけという印象もあるし、あまりの情報量に面食らうことにもなる。しかしここで語られることは当時の音楽の背景としても非常に貴重なものであり、観ていても「そんなことがあったのか」とびっくりもするのである。ついでに書くと、このDVDは「映像特典」として、6時間半にも及ぶ「本編には収録し切れなかった」当時の裏話などのインタヴュー映像が収録されているのである。そっちも以前観ているけれども、まさにさまざまな逸話満載で、見飽きることもなかったのであった。

 映画はずいぶん早くに完成されていたらしいけれども、映画のなかで聴かれる音楽の権利を得るために、実に膨大な時間がかかってしまったということらしい。
 今回は、亡くなられたブライアン・ウィルソンの追悼の意味もあってこの映画を観て、ブライアン・ウィルソンのことを中心に書いたが、わたしが夢中になってヒット曲を聴いていた時代のこと、この映画で話題となった曲、取り上げられた曲のほぼすべてはわたしも良く知っている曲ではあり、そういうことを書き始めたら、膨大な分量になってしまうだろう。