ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years』(2016) ロン・ハワード:監督

 昨日ちょっと書いたように、ビートルズのデビュー時からさいごのサンフランシスコの公演(1966年)までの(おっと、真のラストの1969年の「ルーフトップ・コンサート」も、一部オーラスに収録されています)、コンサート映像を中心にバンドの歴史をまとめた作品で、例えば彼らのレコーディング風景などはわずかな写真で紹介されるだけで、これはある意味で、彼ら4人の「パブリック」な顔を集大成したものとも言えると思う。
 このドキュメントのひとつの魅力はやはり、ビートルズ人気沸騰時の世間の熱狂ぶりがうかがえることでもあり、その公演会場の集団熱狂は「よくケガ人とか死者が出なかったものだ」とか思ってしまう(ケガ人は出ていたのだろうが)。ナレーションで、「このファンらの絶叫しての熱狂ぶりは、ステージ上で唄うビートルズらのシャウトによって増幅されているだろう」と語り、そこでライヴでの「Twist and Shout」の映像がかぶさり、「なるほどなあ」などと思ってしまうわけだが、まあそのライヴから50年近くなって目にして耳に聴く「Twist and Shout」にはわたしとてやはり興奮するし、この曲はロック史上で最高の「Shout and Scream」Songではないかと思ったりもする(あと、わたし的にはMaximum Joyの「Stretch」っつう曲もイケてるけれども)。

 ずっと彼らのナマ演奏を聴いていて思ったのは、その音がレコードの音と変わらない演奏の堅実さであり、また、これは映画の中でコメントしているエルヴィス・コステロも言っているのだが、4人の息がピタリと合っていることでもある。
 これは特に後期の公演では会場がどんどん大きくなり、野球場での公演が多くなるのだけれども(これは一度の公演で効率的に多くの観客を呼ぶためであった)、当時のPAはお粗末なもので(映画の中では「100W」とか言っていた)、モニタースピーカーなどもなかったわけで、特にドラムのリンゴには演奏の音はまったく聴こえなかったということは前から聞いていたが、この映画でもリンゴは演奏している3人の動きを見てドラムを叩いていたと語っていた。それでも、音はピタリと合っているのだ。素晴らしいライヴバンドでもあったと思う。
 いちおうメンバー4人のバランスを考えてか、単にジョンとポールのリードヴォーカルを聴かせるのではなく、ジョージがリードヴォーカルを取る曲も、珍しくリンゴが唄う「Boys」の映像も使われていたのがうれしかった。

 マネージャーのブライアン・エプスタインやエンジニアのジョージ・マーティンの紹介も怠らず、彼らの長いツアーに同行した記者の発言もフィーチャーされる。当時観客の一人だったシガニー・ウィーヴァ―やウーピー・ゴールドバーグも登場する(シガニー・ウィーヴァ―は、当時の映像の中にその若い姿が確認される)。ちょうどその頃、ビートルズの4人は公演会場で「人種隔離」をする会場では演奏しない、との発言もするわけだ。

 いちおう新しいアルバムがリリースされるごとに、そのジャケット写真が映像で紹介されたりするわけだけれども、彼らの音の変化については語られることはない。ただ4人がいつも続くフォト・セッションに飽き飽きしていて、例のアメリカ盤「Yesterday and Today」のいわゆる「ブッチャー・カヴァー」のフォトセッションのときには心底楽しんでいたようだ、というあたりから、彼ら4人とメディアとの溝も生まれていたようだ(その前にジョンの「ビートルズは今やキリストより有名だ」発言もあったが)。

 それでまさに「ハードワーク」でしかない公演ツアーの連続にメンバーらもうんざりし、まずはジョージが「もううんざりだ」と言ったらしい。彼らのライヴは1966年8月のシェイ・スタジアム公演で最後になるのだが、ここでメンバーの中に「もう人々の求める(今までの)ビートルズでいたくない」という気もちもあったのではないだろうか。
 この時期にジョージが「インド音楽」に目覚めるというのも、それまでのビートルズの「ポップ~ロック音楽」から距離を取りたいと思った結果だったかもしれないし、しばらくあとに彼らが(ポールのアイディアで?)自分たちはビートルズではなく「別のバンド」だというコンセプトで「Sgt. Pepper's Lonely Heart Club Band」として、ライヴ演奏の不可能なアルバムをリリースしたというのも、「今までの<ビートルズ>から距離を取りたい」という4人の「思い」が一致した結果ではなかっただろうか。

 今までわたしは、この「Sgt. Pepper's Lonely Heart Club Band」というアルバムを、彼らの「音楽的進化」という視点からのみ解釈しようとしていたけれども、このドキュメントでビートルズのじっさいのフィジカルな3~4年の「ハード」な活動をみると、「ライヴ活動を辞める」ということは「ビートルズから距離を取る」ということでもあり、このアルバムへと至る道筋は弁証法的にも理解出来る気がした。この次のアルバムが、「ああ、もうビートルズはライヴをやらないんだ」という共通認識が生まれたあとの「The Beatles」であったということも、納得出来る思いだ。

 そういうところで、単に「ビートルズのライヴ映像」の集積ということを越えて、思わせられるところの多い作品ではあった。