ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013) ジョエル&イーサン・コーエン:製作・脚本・監督

 ‥‥あれ? 売れないミュージシャンと彼が連れているネコの話? それって、このあいだ観た『ボブという名の猫』と同じなの? って感じだけれども、この映画はそういう「ハッピーエンド」映画ではないし、今までのコーエン兄弟の作品とは毛色も変わって、ずいぶんとシリアス。観ていて笑ってしまうことも基本はない。

 実はこの映画、実在したフォーク・ミュージシャンのデイヴ・ヴァン・ロンクの自伝からインスパイアを受けての作品らしく、この映画のタイトル『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』(ルーウィン・デイヴィスのリリースしたアルバムのタイトルでもある)とは、そのデイヴ・ヴァン・ロンクのアルバムのタイトルであって、その映画内でのルーウィン・デイヴィスのアルバム・ジャケットも、下に貼り付けた通り、デイヴ・ヴァン・ロンクのものとまったく同じデザインである(ミュージシャンのポーズだけは多少違うが)。

      

 つまり、もうコーエン兄弟自体が、この映画はデイヴ・ヴァン・ロンクをモデルにしていると公にしていると言っていいんでしょう。
 わたしはデイヴ・ヴァン・ロンクというミュージシャンのことは、ちょこっと名まえを聞いた記憶があるだけで、じっさいに彼の楽曲を聴いたこともないし、彼のキャリアもまるで知らない。ただ、この映画のモトになった彼の「回想録」は、しばらく前に『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃』というタイトルで邦訳も出ていたようである。読んでみようかな?

 この映画は1961年のニューヨークから始まるようだけれども、その時期はアメリカでの「フォーク・リヴァイヴァル」の始まった頃で、この映画のようにライヴハウスでライヴを行うフォーク・シンガーにあふれていたようだ。この映画のラストに、主人公の後にステージに立つシンガーは明らかにボブ・ディランで、彼のごく初期の歌も流される。
 ちょっとこの映画に関して調べたところでは、(よくわからないが)ボブ・ディランはニューヨークに出て来た頃、この映画のルーウィン・デイヴィスのように(立場を逆にして)、デイヴ・ヴァン・ロンクの住まいのソファで寝かせてもらう日々があったという。そういうのでは、この映画の中でプロデューサーが「男二人に女一人でのグループをつくりたい」と語っていたのは、「ピーター、ポール&マリー」になるのではないかと思ったりする。

 まさにこの映画での主人公のルーウィン・デイヴィスはなかなかチャンスをものにすることも出来ず、友人と組んだデュオのレコードはリリースしていたが売れず、その相棒の友人は橋から身を投げているという。映画の中で彼はシカゴへの旅に出るが、そこでもロクな目に会わず、若い頃に体験のある船乗りに戻ろうかととも考え、やはり船乗りだった父親に会いに行くが、老いた父はもう相談相手にもならないし、母親はルーウィンのやることを毛嫌いしている。
 ルーウィンも決して「善人」としては描かれず、自分の境遇に悲観してからか、他人のライヴを汚い言葉でヤジったりもする(おかげでボコボコにされたりするが)。

 この映画の音楽は、そんな60年代のフォーク、そして当時のフォークの源流であったトラディショナル・ソングなどが演奏されるが、わたしはそういうトラディショナル・ソング、そのシンギングなどが大好きなので楽しむことが出来た。特に「王妃ジェーンの死」だったかの曲は気に入った。
 映画の中の歌は、主演のオスカー・アイザック自身が歌ってギターを弾き、T=ボーン・バーネットがサポートしていて、しっとりと聴かせてくれる。またアダム・ドライヴァーもスタジオに来ていたコーラスの一員として、珍妙な歌声が聴ける。

 ある意味でコーエン兄弟らしくない「シブい」作品かな、とは思ったが、でもやはり、こういう演出はコーエン兄弟らしいところがあったのだった。