コーエン兄弟は、『ヘイル、シーザー!』(2016)と『バスターのバラード』(2018)の2本が製作面で本当に大変で、「もう休みたい」と映画製作を休止したのだという。
しかし、兄のジョエルは2021年に単独で監督・脚本・製作をやって『マクベス』を撮るわけで、そのあたりの経緯はわからない。
イーサン・コーエンがこの作品を撮ることにしたのは、COVID-19のパンデミックによって制作の時間ができたためということ。この作品自体はイーサンの妻のトリシア・クックが2000年代初頭に脚本を書いていたもので、2007年にはいちど映画化の話が持ち上がっていたもの。それをイーサンとトリシアとで映画化することになり、じっさい2人の共同監督で撮られたという。
過去のコーエン兄弟の作品にあったように、ミステリーとコメディとが合体した作品だけれども、大きな背景に「レズビアン」ということがフィーチャーされているが、これはトリシアの原案によるものみたいで、その分、これまでのコーエン兄弟作品にあった「ユダヤ人ネタ」は希薄になっている。
イーサンは、この作品は自分が昔観た「エクスプロイテーション映画」に似ているといい、たしかに露骨でセンセーショナルな描写にあふれているかと思う(ダイレクトなセックス・シーンはいちどもないが)。
出演はまず2人の女性、ジェイミー(マーガレット・クアリー)、マリアン(ジェラルディン・ヴィスワナサン)のカップルを中心に進行し、ここにジェイミーの元カノのスーキー(ビーニー・フェルドスタイン)がからむ。ジェイミーとマリアンが偶然入手して持っているモノを取り戻そうと、3人の悪役の男たちが登場し、そのバックには上院議員のゲイリー(マット・ディモン)の存在があるのだ。
スーキーとケンカして追い出されたジェイミーは、友人のマリアンがフロリダのタラハシーへ行く計画があるというので、いっしょに行くことにする。それでちょうどよくタラハシーまで車を配送するという「ドライブアウェイ」の仕事を得て、車を受け取ってタラハシーへのドライブが始まる。しかし、その車はワケアリで、別の人間が配送するはずだったのが手違いで、ジェイミーたちが乗ることになってしまったのだった。
で、その車の奥には冷凍処置された「男の生首」と、ブリーフケースに入れられた、けっこうデカい「ディルド(張り型)」とが隠されていたのだった。「ディルド」は将来は大統領かとも言われる上院議員のゲイリーの「いちもつ」から型取りされたもので、それを入手して換金しようとしていた男からゲイリーの部下3人が取り戻し、生首はその男のものなのだった。
手違いにあせった3人組はジェイミーとマリアンを追うのだが、発展家のジェイミーは途中の町のレズ・バーに立ち寄って夜の相手を探すし、ちょっと堅物のマリアン(愛読書はヘンリー・ジェイムズ)にアプローチし、だんだんにジェイミーとマリアンとの距離も接近して行く。そしてついに2人は、車の中の「ディルド」と「生首」とを発見するのだった。3人組も2人に追いつき、2人は拉致されてしまうのだった。さてさて‥‥。
まさに「エクスプロイテーション映画」という感じで、そんなに質のいい種類の作品ではないか。とにかくお下劣さにあふれているが、「爆笑」というモノではない。ジェイミーとマリアンを追う3人組は、いわゆる「マフィア」とかのような悪玉ではなく、仕事の進め方で言い合いばかりしている(これがさいごに仲間割れになるのだが)。てな感じで男たちはたいていアホばかりで、とりわけ男たちのラスボスがマット・ディモンの演じる上院議員。彼の結末の「恥ずかしさ」は、病院に搬送されてそこで看護師の女性に蹴りをくらわせ、爪でひっかいて警察に逮捕された「自称」女優の恥ずかしさとどっこいどっこいではあろう。
一方、登場する女性たちはしっかり好意的に描かれていて、そのことがこの作品の大きな特徴かもしれない。つまり「LGBT賛歌」というか、とりわけ「L賛歌」というか。ラストもベタなハッピーエンドだし、そんなことで映画を観終えても、あんだけ「えげつない」映画だというのに、何だか「さわやか」な気分になってしまった。
さいごにはジェイミーと別れたスーキーもタラハシーにやって来て、ジェイミーとマリアンを助ける活躍をみせてくれ(実は彼女は警官なのだ)、わたしも終わりには彼女のファンになってしまった。
ところでわたしは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にも出ていて印象に残っていた、マーガレット・クアリーが気に入っていて、この映画も彼女が出演してたから「そりゃあ観なくっちゃ!」って感じだったのだが、調べてみてわかったのだが、彼女のお母さんはアンディ・マクダウェルなのだ、ということだった。たしかにそういわれてみれば似てる気がする。どこが? ‥‥口のあたり、だろうか。