ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハーディ短編集 月下の惨劇』 トマス・ハーディ:著 森村豊:訳

 この短編集は、翻訳者がハーディの3冊の短編集から6篇の短編を選んで翻訳したもので、内容は以下の通り。

 「Wessex Tales」(1888)より
「見知らぬ三人の男」(The Three Strangers)
「呪われし腕」(The Withered Arm)
「市(まち)の人々」(Fellow-Townsmen)

 「Life's Little Ironies」(1894)より
「野心家二人の悲劇」(A Tragedy of Two Ambitions)

 「A Changed Man and Other Tales」(1913)より
「変り果てた男」(A Changed Man)
「月下の惨劇」(What The Shephard Saw)

 たいていの短編は、ハーディの創出したイギリス南西部の架空の土地Wessexを舞台にしている。「A Changed Man and Other Tales」は1913年刊行だけれども、収録された短編は過去に雑誌などに掲載されたもの。

 この短編集では以下の順に収録されている。
「見知らぬ三人の男」
「呪われし腕」
「変り果てた男」
「月下の惨劇」
「野心家二人の悲劇」
「市(まち)の人々」

 「Life's Little Ironies」という短編集があるように、これらの短編はどれも「人生の中の皮肉」を描いているとも言えるだろう。わたしはどれも「運命の(悲劇的な)いたずら」のように思ったが。
 「見知らぬ三人の男」のようにちょっとした小咄のような軽い作品もあるけれども、たいていの作品は悲劇的な展開になり、「皮肉」といえば「皮肉」といえるのかもしれないが、けっこう読後感は重たい。「変り果てた男」と「野心家二人の悲劇」とは牧師が主人公で、キリスト教的な倫理観がけっこう前面に出ていただろうか。

 「月下の惨劇」は、ある月夜にひとりの牧童が、土地の大地主がある男を殺害して死体を埋める現場を目撃してしまう。大地主は牧童に見られたことを知り、牧童に「オレはお前を雇い、いい学校にも行かせていい地位につけてやろう。しかしオレが生きているうちはこの夜のことは口外するな」と言う。
 何十年もの時がたち、牧童は大地主の執事になっている。しかしあの夜のあの事件の目撃者が別にいたことを知る。その目撃者はもう臨終の床にあるのだが、死ぬ前にその夜のことを話すつもりだとわかる。執事はこのことを老いた大地主に語るのだが、大地主は夜中に死体を埋めた場所に行き、その死体を掘り返そうとするのだ。しかし大地主はその帰りに転倒して死亡する。執事は土地の牧師にあの夜のことすべてを話し、執事を退き農夫として生きることを選ぶ。
 その土地では、現場だった場所に幽霊があらわれるとのうわさが流れたのだった。
 特にどうということもない話かもしれないが面白かった。殺人の夜の情景の描写などに感銘もした。

 「市(まち)の人々」は、妻を愛してはいない男が、実は妻ではなくずっと思っていた女性がいるのだが、彼女には「あなたは結婚しているのだから」と拒絶される。それで男は、独り暮らしで生活に困っていた彼女を、友人の妻を亡くした男(その妻の死に男も無関係ではなかった)の娘たちのための家庭教師に就かせる。不和だった男の妻は家を出てイギリスへ渡り、その後死んでしまう。男は「では彼女に結婚を申し込もう」と考えるのだが、なんと彼女は家庭教師先の友人と婚約したところだった。絶望した男は長い旅に出て、二十年ののちに町に帰ってくる。友人はすでに亡くなっていて、その娘たちも皆嫁いでいた。男は寡婦として独り暮らしをしている彼女に会い、結婚を申し込むのだ。彼女はそのときは申し出を断り、男は帰って行く。あとになって男と結婚してもいいと思い直した彼女は、男の宿へ行ってみるのだが、男はどことも知れず旅立ってしまったあとなのだった。長くなるので書かなかった展開もあるのだけれども、まさにちょっとした運命に翻弄されたかのようなその男の人生には、やはり同情する気もちも強かった。

 「呪われた腕」は怪奇譚めいたところもあるのだけれども、ある農家に雇われて働くローダという女性がいて、実は過去にその農家の主人と深い関係にあり、主人の子も授かって女手ひとつで育てている。その主人が結婚するということになり、ローダは息子を村へやって来る花嫁を見にやらせたり、気になるというか嫉妬心にも囚われるようだ。
 ある夜にローダは生々しい夢をみて、その夢のなかでローダは幽霊のように蒼白い女性に出会い、彼女の腕に力づくでしがみつくのだ。
 ローダはその花嫁と知り合うことになるのだが、花嫁はあるときから腕にあざが出来ていつまでも治癒しないという話をする。
 いろいろあって十年の月日が経っても花嫁の腕は治癒しないどころか悪化するばかり。彼女は妖術に詳しい老婆に相談するのだが、その老婆は「絞首刑で死んだばかりの人間の体にその腕をあてれば治る」と語る。彼女は刑場へ行き、処刑された男の死体に腕をあてるのだが、その場に彼女の夫もローダも登場するのだ。実は処刑された男は彼女の夫とローダとの息子であったのだ。驚愕した彼女はその場で倒れ、息絶えてしまうのだ。

 イギリスにはバラッドとかの歌でも歌われた「伝承物語」の伝統があるのだけれども、そんな「伝承物語」で歌われるストーリーにはどこか「無常感」を感じさせられる、「善悪」を越えた非情な、ある意味残酷な歌がけっこうあるのだけれども、このハーディの短編集には、そんなイギリスの伝承物語に通じる精神を感じさせられるところがある。わたしは、この「無常感」というものは日本の風土にも受け入れられ得るものではないか、とも思うのだった。
 トマス・ハーディは『ダーバヴィル家のテス』の作者でもあるが、その『ダーバヴィル家のテス』のヒロインもただ運命に翻弄され、心ならずも「犯罪人」として人生を終えるのだが、そこにもまた根底に「無常感」があるのではないだろうか。

 ‥‥この感想を書いているときに、実はわたしは2年半ぐらい前にこの本をいちど読んでいたことがわかった。記憶障害もあって、そのことはこれっぽっちも憶えていなかった。
 そのときに書いたこの本の感想も残っていたけれども、何とまあわたしは情けない、何もわかっていない読み方をしていたことがわかった。
 トマス・ハーディの良さが少しはわかったということで、わたしは多少なりとも「進歩」しているのだろうか?