ウィリアム・クラインは若くしてアメリカ陸軍兵としてドイツ、そしてフランスに駐留し、戦後除隊されてからもフランスに永住した。彼はまず画家・彫刻家としてそのキャリアをスタートさせたけれども、その後独学で写真を始め、ヴォーグ誌のファッション写真家として、そして様々な都市を取材したフォト・エッセイで広く名声を得た。彼の作品は「ファッション界へのアンビバレントで皮肉なアプローチ」、「当時の写真の常識を断固として拒絶した」革命的なものとみなされた。
クラインは1966年に最初の長編劇映画『ポリー・マグーお前は誰だ』を監督するが、フランスのファッション業界をテーマに、「おとぎ話」「ドキュメンタリー」的手法を取り入れた演出はカテゴライズ不能の作品としてカルトな人気を得るのだった。わたしもこの映画のDVDは持っているが、斬新な映像とコミカライズされたストーリーとで、わたしには「ヌーヴェルヴァーグの別ヴァージョン」とも思える快作(怪作)であった。
彼は多くのドキュメンタリー映画をつくったけれども、「劇映画」といえるのはその『ポリー・マグーお前は誰だ』、そして『ミスター・フリーダム』(1968)、『モデル・カップル』(1977)の3本だけ。
というわけで、このウィリアム・クライン2本目の劇映画『ミスター・フリーダム』は、1968年当時の世界の政治情勢をおちょくった作品というべきか、アメリカ文化やアメリカの外交政策(政治姿勢)を思いっきりあざ笑う映画なのである。
この1968年、アメリカの大統領はリンドン・ジョンソンで、アメリカはヴェトナム戦争の泥沼にすっかりはまり込んでいた。、当時のソヴィエト連邦はチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」に対して軍事介入をやらかしていたし、中国はまさに「文化大革命」まっさいちゅう。
ソ連をロシアと乱暴に考えるなら、今でこそロシアも中国もはっきりと西側諸国と対立していると考えられるだろうけれども、このとき(1968年)世界にはアメリカのヴェトナム戦争に反対する声は大きかったし、フランスでは新左翼による「五月革命」が起き、そこにはキューバのゲバラや中国の「文化大革命」の影響があったわけだった。
この『ミスター・フリーダム』、そんなヨーロッパ、とりわけフランスの状況に危機感を持ったアメリカの「フリーダム・タワー」のトップ、「ドクター・フリーダム」(ドナルド・プレザンス)は、自由主義のスーパーヒーローの「ミスター・フリーダム」(ジョン・アビー)を、先にフランスに送った「あっぱれ大尉」の死を受けて、「共産主義粉砕」のためにフランスへ送るのであった。
フランスで味方の地下組織と合流し、「あっぱれ大尉」の元愛人の活動家、マリー・マドレーヌ(デルフィーヌ・セイリグ)の助けも借りて、フランス裏組織の親玉のスーパー・フレンチマンやソ連の秘密組織のリーダー、ムージクマン(フィリップ・ノワレ)と会うのだが、そのときに風船ライオン張りぼてのレッド・チャイナマンも出てきたりする。ムジークマンの捕虜となったミスター・フリーダムは、彼を見張るレッド・マリアを射殺して脱出、マリー・マドレーヌのもとへ戻るのだが、そこでマリー・マドレーヌの息子に「ファシスト」と呼ばれ、いささかショックを受けてしまう。しかしフリーダムのフランス支部の連中と会って元気を取り戻し、皆に演説をぶつ。演説は皆を暴徒化させ、街中で略奪、暴行、殺人が行われる。
フリーダムの支部にムージクマンの一派が攻め入り撃ち合いとなるが、ムージクマン一派の一人は実はスパイだったマリー・マドレーヌなのだった。彼女は「あっぱれ大尉」を殺したのも自分だと白状して死んでいく。
ミスター・フリーダム以外のフリーダム支部の全員も死に絶え、ミスター・フリーダムはフランス人らは皆「恩知らずで裏切者で、変人だ」と思い、さいごに、アメリカから持って来た「最終兵器」を爆破させるのだった。しかし「最終兵器」はパリのごく一部とミスター・フリーダムの右腕を破壊したに過ぎず、すぐそばでは何もなかったかのように道路を車が走っていた。
ドクター・フリーダムに連絡を取ると、「あれは最終兵器ではなく、中規模のモノだった」ということだった。ドクター・フリーダムはミスター・フリーダムに、「今の君には変化と休養、そして瞑想とが必要だな」と語るのだった。
赤、青、白の「星条旗カラー」3色のアメフト・ユニフォームを身につけて暴れまくるミスター・フリーダム(登場する女の子たちも、この「星条旗カラー」の服を着てる)、もっと今のアメリカ大統領のドナルド・トランプに似ているかと思って観たけれども、そ~んなに似てはいなかった(トランプの方がバカに見える)。それにやはりこの映画での価値観はさすがに60年前のものというか、「星条旗の下で敵は打ち砕かれる」などと歌われても、今のアメリカは海外ではそういうことやらないのね(でも、トランプはアメリカ国内でそういうことをやろうとしているようだが)。
当時のアメリカは「資本主義」まっただなかというわけで、フランスのアメリカ大使館の中はただの巨大なスーパーマーケットだし、ミスター・フリーダムが演壇からフランス人に紹介する「良きアメリカ」という映像も、まるっきしコマーシャル映像なのである。アメリカはまず何よりも、海外に自国製品を売ろうとしていた国だわさ、というあたりの「皮肉」がいいですね~(これは今のトランプもおんなじだ!)。
主演のミスター・フリーダムを演じるジョン・アビーは、こういっちゃなんだけれども「あたま空っぽ」に見えるからキャスティングされたのだろうか。演技力とかは問われてない気がする。
そんなミスター・フリーダムを支えるのが、「なぜこの映画に?」というデルフィーヌ・セイリグで、嬉々としてこの役を演じておられるようだし、しかも胸元の大きく開いたセクシーなレオタード姿をいっぱい見せて下さるのだ。
フィリップ・ノワレ、ドナルド・プレザンスという名優も出演されていて、他にもセルジュ・ゲンズブール、サミ・フレイなども出演されているし、イヴ・モンタン、そしてシモーヌ・シニョレもちょびっと顔をみせておられたようだ。
けっきょく、考えてみればこの映画、アメリカの「スーパー・ヒーローものコミック」を裏返したパロディで、「民主主義」や「自由」がいかに「正しい概念」であっても、それを暴力で押し付けようとすれば、まったく逆のモノになってしまうという痛烈なパラドックスを、まさに「アメリカン・コミック」っぽい抜けた演出でみせてくれる映画か。随所にウィリアム・クラインっぽい、クールな画面を観ることができる。