ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『父親たちの星条旗』(2006) クリント・イーストウッド:音楽・監督

 この作品もまた、昨日まで観てきたイーストウッド監督の作品と同じように、「英雄とされた男」を主人公とした映画。
 太平洋戦争でもっとも過酷を極めた「硫黄島の戦い」で、アメリカ軍が確保した摺鉢山の山頂に星条旗を立てたことで有名になった3人の兵士の物語。実はこの星条旗は2回目の掲揚で、さいしょに立てられた星条旗アメリカ兵らの喝采をを浴びるのだが、それを見た海軍長官は「あの星条旗を記念に欲しい」などとぬかし、ある小隊の海兵隊員6人が星条旗を立て直し、そのさまをカメラマンが撮影したのであった。
 まだ戦闘は継続していて、このとき星条旗を掲揚した6人のうち3人は戦死してしまう。残ったのはジョン・”ドク”・ブラッドリー(衛生兵であった)、アイラ・ヘイズ、レイニー・ギャグノンの3人だった。

 硫黄島での戦闘が終了したとき、このときの星条旗を立てる写真はアメリカの新聞の一面を飾る。この写真は一気に有名になり、「第二次世界大戦を代表する」写真となる。
 「この6人は誰だったのか」ということになり、レイニーが上官に聞かれる。このときネイティヴ・アメリカンであるアイラ・ヘイズは「絶対に自分の名を出さないでくれ」とレイニーに言っていたのだが、レイニーはしゃべってしまう。また、6人のうちの1人の名前を間違えて伝えてしまう。

 太平洋戦争はまだ継続していて、生き残りの3人は国民から戦債を募集するための広告塔にされてしまい、アメリカ中を巡回させられる。そのかたわら、亡くなった同胞の母親と会って、彼らのことを伝えもするのだった。
 ドクの意識下には戦場での体験と「衛生兵は!」と呼ぶ声がフラッシュバックされるし、アイラは戦友の死が忘れられず、酒に頼るようになる。レイニーは如才なくふるまい、ガールフレンドと共に自分を売り込むのだった。
 あるスタジアムでのイヴェントで、フィールドに「摺鉢山」を模した張りぼてが設置され、3人はそこに登って星条旗を立てさせられることになる。「茶番劇だ」と嫌悪をあらわにしたアイラはいちどは逃亡するが、けっきょくは残る2人に加わる。しかしアイラは飲酒していたことがバレ、人種差別もあって、立腹した上官は彼を再び戦場へと送り返す。

 戦争は終わり、アイラも生還するが、彼のアルコール依存症は深刻である。ドクは結婚し、堅実に葬儀屋に勤め始め、のちにはその葬儀屋を継ぐことになる。レイニーは「国債キャンペーン」のときに紹介されたお偉方にアポを取ろうとするが、彼らはもう「硫黄島の英雄」に興味はないのだった。けっきょくレイニーは用務員として生涯を終えたらしい。
 アイラはあるとき急に徒歩とヒッチハイクでテキサスへ行き、硫黄島でじっさいには星条旗を揚げたのに名前の洩れた兵士の父親を訪ね、「あなたの息子さんが星条旗を掲揚したのです」と伝えて、即その場を去って行く。アイラは終戦後10年目に、飲み過ぎで屋外で死んでいるのを発見される。
 ドクは戦争時の記憶に取り付かれて死んで行くが、「英雄」と呼ばれることは嫌った。そんな父を看取った息子は、父の話から「英雄とは人間が必要にかられて作るものだ そうでもしないと命を犠牲にする行為は理解しがたいからだ」「だが父と戦友たちが危険を冒し 傷を負ったのは仲間のためだ 国のための戦いでも死ぬのは友のため、共に戦った男たちのためだ」と、この映画のラストに語る。

 ダイレクトに「英雄」というものに疑問を呈した作品で、特に「英雄」という肩書を持つ者らを国のために利用しようとした「国債募集関係者」らは、みにくいとも言えるだろう。ドクはこれらのことを本気に取らなかったが、アイラはもろにこのために押しつぶされてしまう。レイニーは「英雄」という肩書を利用しようとはしたが、「英雄」の賞味期限は短かかった。そういうところでこの作品も「強いアメリカ」を描いたものではなく、昨日観た『アメリカン・スナイパー』と重なってくるところも見えて来るだろう。

 そのようなメッセージには強いものがあったが、「硫黄島の戦い」と「銃後の兵士たち」、そして「終戦後の話」とを時間軸に沿わずに描くこの作品、いちばんわからないのは「戦いはどのようなせめぎあいがあり、どのように終結したか?」ということだろうか。日本軍兵士の戦いはもう冒頭から「ゲリラ戦」的で、「どこを陥落させればアメリカ軍に勝利が近づく」というのか、よくわからない。
 そういうのでは『プライベート・ライアン』であれば、上陸~侵攻~クライマックスの戦闘と、流れはよくわかる。
 また、「硫黄島の戦い」に一種の「混乱」があるとしても、同じような「混乱」を描いたクリストファー・ノーランの『ダンケルク』の方が演出は見事だったろう(『ダンケルク』は「侵攻」ではなく「撤退」だが)。