今週は月曜日に「ふるさと公園」へ行けなかったので、この日「ふるさと公園」へ行くことにした。というか、今日は「20日」で、「ふるさと公園」のそばのドラッグストアで、貯めたクーポンのポイントが1.5倍で使える日なので、多少貯まっているポイントを使ってしまおうという目論見があったのだ。
やはり今日もピーカンの晴天で、気温はグングン上昇するのだった。午後には東京都心で35.1℃になったようだ。
「出かけよう」とドアを開けると、ドアの外にいたらしいセミがバタバタと飛び立って行った。もうそろそろ、今年のセミもおしまいだなあ。
今日は、ウチの近くで飼われているワンコに久々に出会った。元気そうやね。わたしのことを憶えてくれてるかな?

「ふるさと公園」に入ると木の葉の日陰になって、いくぶん涼しくなる。先日までは「ふるさと公園」のなかもセミの鳴き声に満ちていたけれど、この日はもうセミの声は聞こえない。やはりセミの季節も終わったようだ。
芝生を歩いていると、たくさんのハトたちが飛んできて、みんなわたしのそばに着地してくるのだ。数が多くって、「寄ってこないでよ!」と思ってしまうが、わたしが食べ物をくれると勘ちがいしているのだろうか。以前はカメラを出そうとバッグに触れると、それを「食べ物を出してくれる」と思って集まってきたけれども、この日はバッグにさわったりしてないのにな。

この日も「コブハクチョウ」の親子の姿は見られなかったが、今は以前より池に草が生い茂り、前にコブハクチョウが入ってきていたあたりに水面も見られなくなっていて、これではもう、コブハクチョウもこのあたりには入ってこれなくなってしまっているだろう。
これからもずっとこうやって草が池をおおいつづけるようだと、この写真の右側の毎年のコブハクチョウの営巣地に、これ以降来年とかもコブハクチョウは来られなくなってしまうだろう。するともう、来年からはコブハクチョウの子育ての姿も見られなくなってしまうだろう。

予定通り「ふるさと公園」の帰りにはドラッグストアに寄って買い物をし、支払いはポイントを使ったので現金はほとんど使わなかった。そのあと駅前のスーパーへ行き、この日は「見切り品」で5個108円で売られていた激安のトマト(ほとんど傷んではいないようだった)、そしてやはり108円のタマネギ、ニンジンを買った。それに2食127円の冷やし中華麵、3食127円のチャンポンメンなど激安品を買うのだった。この日は、「買い物」ということで考えると、実に経済的な買い物のできた日だった。
さて、参政党の某議員が「核武装は安上がり」と発言して以来、調子に乗って「そうだそうだ」という核武装推進論がSNSやヤフコメにあふれているみたいだ。わたしはSNSの実態はわからないが、ヤフコメでそういう「核武装推進論」は読んでいる。
読んで思ったのは、そういう人たちは「核武装批判」の人らの「核武装推進論」批判は感情的論議が多すぎるとする意見が多いということで、「批判者は論理的批判をしていない」と言っているのだ。
しかしわたしが読んだ限りでは、「核武装推進論者」は、批判者の「こういう問題はどう考えるのか」という問いに誰も何も答えていない。そしていつも(論者はちがえども)「核抑止論」から始まる同じ話を繰り返しているだけのようだ。これこそ「論理的推進」にほど遠いのではないだろうか。
わたしも簡単にまず一つの問いだけを書いておくが、「日本が核拡散防止条約(NPT)を破って核武装するならば、日本は世界中から批判され、経済制裁もされるだろう。それでもなお核武装をするのか?」という問いに、まずは「核武装推進論者」は答えるべきだ。もちろん、日本が核武装することにともなう「問題」はこのことだけではなく、まだまだそれこそ「多数」あるわけだが、まずはさいしょに(もう一度書くが)「日本が核拡散防止条約(NPT)を破って核武装するならば、日本は世界中から批判され、経済制裁もされるだろう。それでもなお核武装をするのか?」という問いに答えるべきだろう。「そんなことは杞憂に過ぎない。なぜならこういう理由からだ」という答えでもいい。そうでなければ、「感情的」なのはまさに「核武装推進論者」なのだ、ということになる。