ブニュエルは『皆殺しの天使』(1962)を撮ったあと、『ビリディアナ』に出演していたフェルナンド・レイに、プロデューサーのセルジュ・シルベルマンを紹介される。シルベルマンは、ブニュエルが何度か読んでいたというオクターヴ・ミルボーの『小間使の日記』を2人で映画化することを提案した。ブニュエルはシルヴィア・ピナルとメキシコで撮影したかったが、シルベルマンはフランスで撮ることを主張したのだった。
シルヴィア・ピナルはまたブニュエルとの仕事を望んでいて、『小間使の日記』に出演するためならフランスに住んでフランス語を学び、報酬なしでもかまわないつもりでいたが、シルベルマンはジャンヌ・モローが主役を演じることを望んでいた。望みが叶わなかったピナルはひどく落胆したというが、この『小間使の日記』のあと、ブニュエルはもういちどグスタボ・アラトリステの制作、シルヴィア・ピナル主演で『砂漠のシモン』という映画を撮ったのだった。
ブニュエルがフランス語のできる共同脚本家を求めた際、シルベルマンはまだ32歳のジャン=クロード・カリエールを推薦した。
以後は「セルジュ・シルベルマン:製作」「ジャン=クロード・カリエール:共同脚本」という、ブニュエル後期の不動の布陣がつづくことになる。ただ、のちにブニュエルは「グスタボ・アラトリステと組んだときが最も自由に映画をつくれた」と語ったらしいが。
さて、オクターヴ・ミルボーによる原作『小間使の日記』は1900年に刊行されたものだが、このブニュエルによる映画では1928年頃という設定になっている(これにはどうやら理由があるようだが)。
オクターヴ・ミルボーという人はアナーキズムの支持者であり、ドレフュス事件の際はドレフュスを熱烈に支持したという。アナーキズムの支持者ということで、やはり宗教界、ブルジョワ階級の腐敗を作品でも攻撃していたようで、そのあたりでブニュエルの愛読するところとはなったのであろう。
物語は、魅力的な女性セレスティーナ(ジャンヌ・モロー)がパリからモンテーユ家の田舎屋敷に、新しい小間使いとしてやってくるところから始まる。
モンテーユ家を取り仕切っているのはちょっと冷酷なモンテーユ夫人で、この人は夫とのセックスを拒否してる。それで夫のムッシュ・モンテーユ(ミシェル・ピッコリ)はつまり欲求不満なわけで、敷地の森で狩りに興じたり、やたら女性にちょっかいを出そうとすることでまぎらわせている。セレスティーナは妻の父のムッシュ・ラブーレの世話係になり、おかげでムッシュ・モンテーユはセレスティーナにちょっかい出さないようだ。
しかしムッシュ・ラブーレは脚フェチで靴フェチのようで、毎晩セレスティーナのふくらはぎをさわり、毎晩とっかえひっかえいろんな靴を履かせて歩かせるのだ。
屋敷にはあと料理女のマリアンヌ、そしてジョセフという陰で政治運動を画策している粗野な下男とがいる。
ある日、ムッシュ・ラブーレがセレスティーナに履かせた靴を抱きしめたまま息絶えているのが発見され、話は大きく転換する。同じ日に
ラブーレがみまかったこともあり、セレスティーナは職を辞してパリに帰ろうとするのだが、駅のホームで警官たちが、セレスティーナが親しくしていた近所の少女が暴行され殺されているのが発見されたと話しているのを聞く。
それを聞いたセレスティーナは「犯人はジョセフだ」と直感し、彼が犯人である証拠を見つけて警察に突き出そうと、屋敷に復職することにする。
したたかなセレスティーナはジョセフの言質を得るために色仕掛けで迫るが、同時にムッシュ・ラブーレがいなくなったものだからムッシュ・モンテーユも彼女に迫る。
セレスティーナはジョセフと結婚して彼がシェルブールでカフェを開くのに同行すると口約束し、彼の告白が得られないものだから彼が犯人との証拠をねつ造し、警察に駆け込む。ジョセフは警察に拘束され、そこでセレスティーナはモンテーユ家の犬猿の仲の隣人、モーガー氏と結婚することにするのだった。一方、ムッシュ・モンテーユは「それでは」と、料理女のマリアンヌに求愛するようだ。
セレスティーナはたやすくモーガー氏を尻に敷くことになる。一方ジョセフは証拠不十分で釈放されて別の女といっしょになり、シェルブールで(おそらくは右派の拠点となる)カフェを開店するのだった。
ブニュエルとカリエールとは、ミルボーの原作にかなりの変更を加えているようで、原作ではセレスティーナは最終的にカフェの女主人になり、使用人らを虐待することになるらしいし、他の部分も「原作通り」ではないことだろう(しかし、ムッシュ・ラブーレの「靴フェチ」は原作にあるようだ)。
ブルジョワ階級への侮蔑、そして「フェティシズム」と、ブニュエルの好みの素材のいろいろとある映画だと思うが、けっきょくモンテーユ家の人々もみんな「小粒」で「小物」というか、例えば『エル』のフランシスコのような「狂気」の持ち合わせはないし、やはり決して「善人」ではないね、というセレスティーナはけっきょく何をどうしたかったのか。つまりはジョセフを不正な手段を使っても監獄に送りたかったのだろうが、この映画ではセレスティーナの望みは何も叶わないわけで、隣家のオヤジと結婚して支配するということで終わる。
正直言って、この頃のブニュエルの映画のような「シュルレアリスム」的映像も見られないし、そこまで強烈な「ブラックさ」もないだろう。この映画を観て感じるのは「大いなる皮肉」とでもいうようなもので、今まで観たブニュエルの映画とは肌合いが異なるな、というのが正直な感想だ。ただ、森の奥に倒れている殺された少女の足だけが写され、そこに3匹のかたつむりが這っていたシーンは不気味というか、ブニュエルらしさも感じたが。
このミルボーの『小間使の日記』は、あのジャン・ルノワールが1946年に映画化しているし、このあと2015年になって、ブノワ・ジャコ監督もまた映画化している(邦題『あるメイドの密かな欲望』)。どちらの作品も「Amazon Prime Video」で無料配信されているようなので、つづけて観てみようかと思う。
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