ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『曲がれ!スプーン』(2009) 上田誠:原作・脚本 本広克行:監督

 ‥‥むむむ、「Amazon Prime Video」での無料配信がもうじき終了するというもんで、「普段ならぜったい観ないような映画だな」と思いながら観てしまったのだが。
 もともとはこの原作者上田誠の主宰する劇団「ヨーロッパ企画」によって上演された「演劇」なのだそう。監督の本広克行という方は、『踊る大捜査線』シリーズを撮られていた(いる)監督らしい。そのことを先に知っていたら、わたしはこの映画は観なかったかもしれないが。

 超能力を持つ人を取り上げようとするバラエティ番組「あすなろサイキック」のADの桜井米(よね)(長澤まさみ)は、幼い頃にUFО(?)を見た記憶から、けっこうマジに超常現象・超能力を信じているのだが、クリスマスを前にして、ヴィデオカメラを手に「超能力者」を探しているのである。
 桜井はまずは自薦の手紙を送って来た「へっちゃら男」(寺島進)に会いに行くが、彼は自分の飼う「毒蜘蛛」に刺されても平気、へっちゃらという男なのだったが、桜井が会ったとき調子が悪かったのか、つまりは救急車で病院に運ばれてしまう。
 そして桜井は「細男」というヤツと待ち合わせている「カフェ・ド・念力」というカフェに行くのだが、そのカフェではじっさいのエスパーらが年に一度のパーティーを開こうとしていたのだった。しかしエスパーらは「自分がエスパーである」ことを人に知られたくはないので、桜井に自分たちの能力のことを隠そうとするのである。そこに「細男」がやって来て、話はコミカルに転がり出す。さらに桜井が「へっちゃら男」と会っていたことも、その後の展開にヤバい影を落とすのであった。

 現実の舞台版では、「桜井」は脇役に過ぎないらしいのだが、映画版では思いっきり主役で、人生で「超常現象・超能力を信じること」が「夢を大事に生きること」と同義のような展開になって行く。ここにもう一人、「カフェ・ド・念力」のマスターの早乙女(志賀廣太郎)という存在が「超能力者ではないが超能力にあこがれる」という存在として物語の展開を助ける。

 おそらく舞台ではその「カフェ・ド・念力」の中だけで劇は進行するのだろうけれども、映画ではその「カフェ・ド・念力」のある町を歩く桜井の姿もフィーチャーされているし、そのロケ地らしい香川の観音寺市の景色も生かされていた。

 しかし、桜井以外の登場人物は全員男性ばかりと、どうもバランスが悪い気がしないでもない。コメディだというのに。女性エスパーが一人ぐらい混じっていた方が面白そうに思うのだ。
 あと、その「カフェ・ド・念力」の中でのシーンに力を入れるのはわかるのだけれども、無意味にカメラを動かしすぎるだろう。「ワンシーン・ワンカット」とか狙って、というのではなく、ただカメラがくねくねと動き回る印象。観ていると「切り返し」とかやりたくないからか、なんて思ってしまう。

 それと肝心の点でこの映画、「超常現象」とか「超能力」とかを一緒くたにして、「不思議現象」みたいにひとくくりにしてしまっている感があって、だから「ただ我慢強い」だけの「へっちゃら男」も同類として入り込んでくるし、「細男」も同じ。そして「サンタクロース」までも同類にしてしまってる気配、なのだった。
 だから、主人公の桜井は幼い頃にUFОだかを見てしまって「不可思議の世界」にのめり込むきっかけになるわけだけれど、つまりこの映画、「『童心』を失わないで生きようではないか」というメッセージだと勝手に読み取ったとして、その「童心」の枠を広げ過ぎというか、「ユリ・ゲラーは『童心』かよ?」みたいなことになってしまうではないか。だから映画ラストの、「童心いっぱい」の子供たちの映像がいっぱいつづくとき、「えええっ! そういうことなの???」などと、すでに童心など失ってしまっているわたくしなどは思ってしまうのではあった(この部分は舞台では上演不可能であろうから、映画版での責任ではあるだろう)。

 しかし、久しぶりに志賀廣太郎の姿を見ることができたのはうれしかった。もう亡くなられて4年になるのか。彼のフィルモグラフィーを見ると、思いのほか多くの映画に出演されているようだった。またいつか、突然にめぐり会うこともあるだろうな、などとは思うのだった。