今日は、先日から公開の始まった『ナミビアの砂漠』という映画を早い時間に観に行こうかと思っていたのだが、昨日はいっぱい歩いてちょっと疲れたし、「何もあわてて今観に行かなくっても、来週とかでもいいや」という気分になり、家でのんびり体を休めることにした。
それで、昨日のことでもう少し書いておきたいこともある。昨日の日記には「手賀沼公園」に行ったところまで書いたのだった。
実はその二、三日前、「関東大震災」での朝鮮人虐殺のことを調べていて、映画『福田村事件』になった「福田村」というのは、ココからさほど離れたところではないというのは知っていたのだけれども、その「福田村」以外にもこのあたりに「虐殺」の現場になったところがあり、それがこの日わたしが来ている駅の近くにある、「八坂神社」という神社なのだった。
この「事件」のことは「市史」にはっきり書かれていて、東京都知事が「さまざまな意見があるようです」などと逃れることができるものではない。虐殺された方の人数は多くはないが、どのような経緯で虐殺が行われたのか、そのことは「市史」にははっきり書かれているようだ。
震災当時、このあたりにも東京から避難して来た人らが多く、その八坂神社に「救護所」が設けられたらしい。そして震災によって通信が途絶されたため、このあたりでも船橋の無線送信所からの情報に頼ることになったのだが、そのとき、内務省警保局長からの電報が届く。その内容は「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎ放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於いて充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」というものだったという。
つまり、「朝鮮人が放火している」などの流言蜚語は、市民レベルで広まったものではなく、その情報源は「内務省警保局長からの電報」によるものだと、はっきり書かれているのだ。この電報によってこの地にも「自警団」が組織され、その結果「八坂神社境内で三人の朝鮮人が自警団によって殺された」ということなのだ。
9月20日頃から政府の指示によって虐殺に関わった自警団関係者の一斉逮捕が始まり、この地域でも7名が「こん棒杉丸太などを以て殺害」した容疑で起訴され、この年の11月にはうち6名に懲役1年6ヶ月から2年の求刑がなされたということ(「内務省警保局長」は「無罪」だったのだろうな)。
その「八坂神社」は駅に近く、「八坂神社前」というバス停もある。ちょうど「手賀沼公園」から駅への道の途中にあるわけで、足を運んでみた。
小さな神社だけれども、百年前はもっと境内も広かったのだろう。もっと広くなければ「救護所」の設置も困難だろう。今見られる石の鳥居はつい近年になって建てられたものだと書いてあった。
狭い境内をぐるりと歩いてみたが、その「慰霊碑」などというものは見当たらず、どこにも百年前の事件について書かれてはいなかった。
しかし、地面には最近置かれたのだろうと思われる「花束」が置かれていて、その朽ち方からも、震災~虐殺の日に合わせてどなたかが追悼の意で置かれたものだろうと思い、わたしもその花束の前で手をあわせてきた。
さて、あとは帰るだけなのだけれども、せっかくここまで歩いて来たからと、駅の近くのスーパーに立ち寄って「お弁当」でも買って帰ることにした。
このスーパーはいつも行く「東のスーパー」の同系列のスーパーで、ココの駅には北にも南にもそのスーパーの支店があるわけだ。このスーパーは今各地の支店を閉店させていてニュースにもなっていて、いつも映画を観に行く駅にあるこのスーパーの支店も、10月末には閉店なのだ。それがこの駅には2店も営業していて、「どっちか閉店させるのか?」とか思ったが、どっちも存続するようだ。これはどっちも「自社ビル」だからだろうとは思う。
っつうわけで、お惣菜の美味しいこのスーパー、またニェネントくんといっしょに食べようと「海鮮丼」を買って帰ったのだった。
ということで、昨日の日記はおしまい。この日もウチでテレビを見ているといろいろとあったけれども、敢えて書くまでのこともなし。ただ、夕方から「Amazon Prime Video」で無料配信が今日で終わってしまうという、『曲がれ!スプーン』っつう映画を観たのだった。