ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『クライ・マッチョ』(2021) クリント・イーストウッド:監督

 Wikipediaでみると、この映画の原作シナリオがさいしょに書かれたのは、なんと1970年代のことだったそうで、いろんな映画会社に持ち込んだが却下されていたような。そんな中、『ゴッドファーザー』や『ミリオンダラー・ベイビー』のプロデューサーであったアルバート・S・ラディという人物(ちなみに、イーストウッドと同い年である)がこの原作の映画化に長年入れ込んできた。
 実はさいしょに1988年にイーストウッドのところに話が来ていて、そのときイーストウッドは「自分はこの役には若すぎる」として出演は辞退したけど、監督は引き受けることにして1991年にロイ・シャイダー主演でメキシコで撮り始めていた。その撮影が頓挫したあと、あれこれの主役候補の企画が持ち上がり、ついに2003年にアーノルド・シュワルツェネッガーの主演で話が進みそうになる。しかしシュワルツェネッガーカリフォルニア州知事になってしまいまたもや頓挫。彼が知事を辞めたあとの2011年、イーストウッドが監督というのではなくまたもや映画化の話が進行する。ところがシュワルツェネッガーにスキャンダルが起こり、またまたまたまた話は消えてしまう。
 それでもめげないのがプロデューサーのアルバート・S・ラディ氏で、ついに2020年になってワーナー・ブラザースから、「クリント・イーストウッドの監督・主演で映画化される」ことが発表される。50年前の脚本に加え、『グラン・トリノ』、『運び屋』と、近年のイーストウッド主演作でも脚本を手掛けたニック・シェンクも加わることとなった。
 撮影は「COVID-19」のパンデミックの下で行われたという。

 ‥‥映画そのもの、以外のことを長々と書いてしまったけれど、この製作裏ばなしは結構面白いものだったので。

 ストーリーは、元ロデオのスターだったマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)が、恩人である牧場主のハワード(ドワイト・ヨーカム)から、彼の離婚した妻がメキシコに連れて行った息子を連れ戻してほしいと頼まれるというもの。
 マイクはメキシコへと行くのだが、意外とすんなりとそのラフォという少年を見つけ出す。というか、ラフォの方からマイクの方にやって来るみたいなものだ。マイクはラフォと彼が連れた闘鶏用の雄鶏マッチョといっしょに帰路に着く。このあたり、「ロードムーヴィー」風の展開なのだけれども、2人と1羽は途中さびれた町のカフェに立ち寄り、そのカフェのオーナーのマルタと親しくなる。
 ハワードの元妻の部下が2人を追って来たり、「ドラッグの運び屋」と思われて警官に追われたりもするが、マイクはハワードと連絡を取り、ハワードがラフォを取り戻すのには金絡みの裏事情があったことを知る。そのことでマイクとラフォは言い争いになるが、けっきょくラフォはハワードのもとへ行くことにし、マイクと別れるときにマッチョをマイクに贈るのであった。

 雄鶏の「マッチョ」の名はもちろんマッチョマンのマッチョなのだが、マイクはラフォに「自分も昔はマッチョと呼ばれてもいい男だったが、今は違う。マッチョは過大評価されている。人は皆自分の力を誇示してマッチョに見せようとするが、それが何になる? 自分は何でもわかってるつもりになるが、老いと共に無知な自分を知る」と語る。

 いちおうイーストウッドの乗馬シーンや追っ手をブン殴るシーンもあり、多少はイーストウッドらしさも見せてくれるけれども、『グラン・トリノ』や『運び屋』のように、これはアクション映画ではなく、ある意味スタイリッシュな「カッコいい老い」を見せてくれているようではある。そして映画のトーンは、あくまでも「穏やか」なものである。
 メキシコからアメリカへの旅の風景は「のどか」と言ってもいいし、イーストウッドの映画には珍しく(などと言っては怒られるが)撮影がとってもいい。
 その撮影の良さを少し書くと、まずライティング(照明)がとっても自然だということ。その場面に主人公のイーストウッドが出ているからといって、彼にスポットを当てるようなことはやらず、「その他大勢」の中に埋まる。まあそういう映画も今は数多くあるだろうけれども、この作品ではそんなあり方がとっても気もち良く映る。特に、イーストウッドがカフェのオーナーのマルタと誰もいないカフェの中で踊るシーンなども、ロングショットでとらえるだけで、その手前には積み重ねられたカフェの椅子なんかが二人の姿の邪魔をする。

 ラストにマイクがラフォに別れを告げるとき、「オレの居場所はわかってるよな。いやなことがあったら訪ねて来い」というのだが、そのあとマイクはマルタの店でまた二人で踊っているのだ。ラフォに言った「オレの居場所はわかってるよな」というのはここだったわけで、そのことはラフォもわかってるはずだという信頼がある。

 日記の方にも書いたが、この作品、決して「傑作」ではないだろうが、観ていて心のなごむ「佳作」ではあるだろう、と思った。わたしはこの映画が大好きである。