近年はNETFLIXとかの躍進から、有名監督の新作でもストリーミング配信でしか観られなかったりするようになっていると思うのだけれども、ここに新しいかたちの映像配信プラットフォーム「Roadstead」っうのが出来て、その第一回作品がこの黒沢清監督の『Chime』。この作品が発売されたのはこの4月初めのことで、「なんだ、けっきょく買わないと観られないのかよ」と思っていたら、ここに来ていくつかの映画館で上映されることになり、わたしんちのとなり駅の映画館でもめでたく上映されることになったのだ。嬉し!
それでこの日、その『Chime』を観てきたのだ。「中編」で45分の尺しかないのだが、その45分の中にぎっしりと、黒沢清監督流の「恐怖」が詰め込まれていた。これはまさにびっちり、「ホラー・サスペンス映画」といえるのだ。
まず主人公の松岡を演じているのが吉岡睦雄という役者さんで、わたしはこの方のことをまったく知らなかったのだけれども、調べるとこれまでに井土紀州やサトウトシキなどの作品によく出演されている。そのことが「なるほどな~」と了解できる、こう、何というのか「不気味」な俳優さんではあられる。この作品でも中盤に、彼の顔のアップでしばらく、その不気味さをスクリーンいっぱいに拡げてみせてくれる。
その主人公の松岡は線路沿いの建物にある料理教室の講師をやっているのだけれども、実は一流レストランのシェフの面接も受けている。そしてその料理教室の生徒の田代がとつぜん、「チャイムのような音がメッセージを送ってくるんです。聞こえませんか?」と松岡に訴えてくる。そのときは彼を無視する松岡だが、次の授業の前に田代は「ぼくの脳の半分は入れ替えられて、機械にされたんです。お見せしましょう」とか言い出し、ある行動に出るのであった。
別のとき、教室には松岡と女性生徒の菱田だけで、丸鶏の処理法を教えているのだが、菱田は「丸鶏は気もちが悪い」と言い出す。
松岡には妻と長男とがあり、映画ではいっしょに食事(これが「そうめん」なのだが)をとるシーンがあるのだが、長男は唐突に笑い出すし、妻は急に立ち上がって、キッチンにため込まれた空き缶をベランダに捨て始めたりするのだ。
舞台が「料理教室」ということで、無造作に「包丁」を取り扱ってもいて、その包丁をめぐってあの『CURE』のラストを思わせられる展開にもなるし、まさに『CURE』のように「唐突な暴力の発露」という場面もあり、観ていたわたしも不意を突かれて「あっ!!!」と叫んでしまったのだが。
料理教室の「キッチン・シンク」の無機質な銀色がこの作品の基調色となり、そこに外を通過する電車が光を反射しているのか、昼間だけれどもストロボ撮影のように光の点滅のある場面が、複数回あるのだった。
田代が「自分の脳の半分は機械になった」などというのも、どこか『散歩する侵略者』を思わせるようでもあるし、登場人物の人格が変わってしまうというのでは『カリスマ』も思い出してしまう。先に『CURE』が思い出されると書いたように、『回路』のことも考えてしまうし、どこか『クリーピー 偽りの隣人』のようでもある。また、「死体を寝袋に入れて運ぶ」というのはつい先ごろのリメイク版『蛇の道』ではある。そして、画質を落として古いヴィデオ・カメラで撮影したかのようなラスト・シーンは、黒沢監督の「Vシネマ」時代の作品も思い浮かべてしまう(ラストのクレジットもまた「Vシネマ」が思い出される。そして照明のあたった「ゆれるカーテン」というマテリアルもあったのだった。
そういう意味で、黒沢清監督の今までの作品をあれこれと思い起こしてしまうような作品でもあり、あらためてここでしっかりと「ホラー映画」を演出した黒沢監督の、「映画って怖いでしょ?」って声が聞こえてくるような作品だ。
「コレよ! コレこそ黒沢清監督映画の怖さだよ!」という感じがする。もうすっかり、わたしはこの作品のとりこである。
う~ん、もっと細かく書きたいのだけれども、この作品はやはり「ネタバレ」してはいけないだろうと思ってしまうし、そうするとせいぜいこのぐらいのことしか書けない。ちょっと欲求不満がたまってしまうなあ。