ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『Chime』(2024) 黒沢清:脚本・監督

  

 二回目の鑑賞。さいしょに観たあとに黒沢清監督のインタビューとかを読んだのだけれども、黒沢監督はこの作品のなかに「映画の中の三大怖いモノ」を詰め込んだのだ、ということなのだった。
 その「映画の中の三大怖いモノ」というのは何だろう?と思ったのだったが、それはつまり「幽霊の怖さ」「自分が人を殺してしまうのではないかという怖さ」「警察に逮捕されるのではないか。法律、秩序が自分にひたひたと近付いてくる怖さ」の三つなのだという。それは特に「映画」としての怖さではなく、わたしなどが日常生活で思う「怖さ」であるところが興味深く、黒沢監督の「映画」への思いをも了解させられるようなモノだとは思った。

 そういうインタビューを読んだ上でふたたびこの作品を観て、ひとつは「そうか、やっぱり<幽霊>、出てるんだ」という思いだった。グンとカメラが教室の奥の「椅子」を捉えるとき、そのときすでに<幽霊>は姿を消したのか、いやそれとも、皆の目に見えないだけでそこには<幽霊>がいるのかという、まさに多くのホラー映画の「原点」を見せられている気になるだろうか。いや、「多くのホラー映画」などと書いてしまったけれども、今わたしの頭に思い浮かぶのはジャック・クレイトン監督の『回転』(1961)なのだけれども。
 そうやって観て行くと、主人公が「自分が人を殺してしまうのではないかという怖さ」にとらわれているのならば、主人公の「殺人」は、そんな主人公の内面の<恐怖>こそが生み出した犯罪だ、といえるのだろうか(映画の中で、殺人の動機などまったく不明なままなのだ)。
 そして主人公が「警察に逮捕されるのではないか」という恐怖は、まさに渡辺いっけいの演じる刑事の存在によって具現化されているのだけれども、映画ではその刑事の行動はただルーチンによるもので、主人公を疑ってのものではないかのように描かれている。ただ、このあたりが「尺45分」という中編映画の「罠」というか、この映画の中に描かれた些細な事柄から、刑事が主人公に「疑い」を持つことになる展開にいっしゅんにして移行してしまうことは、多くの映画で描かれていることだろう。

 さて、こうやって2回目に観てその他に気がついたこととして、つまらないことだけれども、主人公が勤務する「料理学校」の外にある「自動販売機」が、わたしには「謎」なのである。その自動販売機は全体が濃紺色をしていて、前面には白ヌキで「kujira」の文字と、そのクジラのイラストとが描かれているのだ。むむむむむ、そ~んな自販機が現実に存在するのか、それともこの作品の撮影のために既存の自販機をアレンジしたものか、わからない。ただ、その濃紺の色彩がなぜかその画面を締めていたようには思えたのだ。
 それともうひとつ、主人公が「料理学校」から寝袋に入れた死体を引きずり出して車に運び込むという、『蛇の道』と同じような展開もあるのだけれども、わたしはそのあとのその「料理学校」の前のシーン(刑事もそこにいた)で、道路にその「寝袋」を引きずったあと(わだち)のようなものが残っていたのが気になったのだが、こうやって2回目に観ると、主人公が「寝袋」を運び出すとき、すでにその「わだち」は、路上にはっきりと見られるのだった。それはつまり映画内の「時間の先取り」、「予兆」のようなものなのだろうか。

 そしてラストシーンへと至るノイズっぽい音楽が、また素晴らしいものではあった。音楽は渡邊琢磨という方、なのだった。