月曜日なので、毎週のように「ふるさと公園」へとお散歩する。この朝はちょっと気温も低く、薄手のタートルネックセーターを着て家を出た。
この日も公園にはあまり鳥の姿は見かけられず、先週と同じようにオオバンと、巣ごもりをしているコブハクチョウの姿ぐらいしか見られなかった。コブハクチョウも、早ければ来週にもその巣から雛が何羽も誕生することだろう。わたしももう近々にその雛の姿を見られることだろう。楽しみだ。
先週に駅の近くの公園で出会ったネコに、この日も出会えるかと期待したけれど、この日はネコの姿は見られなかった。残念。
でも、ウチの近くの家で飼われているイヌの姿を久々に見かけたが、幸せそうなとってもいい表情をしていた。何かいいことがあったのだろうか?
昨日の「統一地方選挙」の後半戦の開票の結果が出て、参院衆院の補欠選挙5ヶ所では自民党4、維新の会1ということになった。千葉では立憲民主党ががんばるかと思ったけれど、けっきょくは敗北した。また、市議会・区議会選挙では日本共産党が「ひとり負け」という状態で、全国で50以上の議席を減らしたという。
悪いけどこういうことは選挙前から想像のついていたことで、立憲民主党は小西議員の「サル」発言の整理をつけないままだったわけだし、日本共産党は「党首公選制」を訴えた党員を除名処分にしてスルーしようとし、どちらもよほどコアな応援者以外は「どうなのよ?」と引いてしまうような事態だったと思うし、そのままの結果になったとも思う。
これにプラスして、島田雅彦氏の「リベラル市民として、安倍首相暗殺は成功して良かった」との発言は、「リベラル市民って危険なんじゃないの?」と思わせるに足るインパクトを持っていたように思う。
今や日本の「リベラル市民」とは、島田雅彦氏の年齢を考えると「60歳以上」の日本人のことを指しているのではないかとしか思えず、それは日本共産党員の党員の年齢を考えればいいのではないかと思う。
日本共産党の志位委員長は「世間に『反共』の声が響く社会は戦前の空気を思わせる」と語り、この論法で行けば日本共産党への「批判」というのはすべてイコール「反共」で、「戦争への歩み」だということになる。
そんな、すべての共産党批判の声を聞かない姿勢はまさにかつての「ソヴィエト」、今の「北朝鮮」「中華人民共和国」と等しい態度と捉えられ、党員以外の人らが距離を置こうとするのは当然であろう。
立憲民主党にも日本共産党にも問いたいのだが、彼らはどのように若い人たちにその「党是」を問おうとしているのだろうか。特にその文化面で、どのように若い人たちを巻き込もうとしているのか。
それは例えば1989年のチェコの「ビロード革命」のような、文化としての求心力を自分たちが持てると思っているのだろうか?
わたしももはや老人だからそのあたり、あまり深く問えないところもあるけれども、今の日本の若い人たち、いわゆる「Z世代」という人たちの価値観をすくい取ることが出来るのか、彼らに「今の最先端のアートとはこういうやつだよ!」とか指し示せるのか、などということを考えてしまう。
ただ、この千葉県の市議会選挙に限っていえば、立憲民主党も日本共産党も、若干ながら議席数を伸ばしているのだった。「若干」というか、日本共産党は2議席から4議席へと「倍増」しているのだ。これはどうしたことだろう。立憲民主党も日本共産党も、このあたり「なぜ千葉県では議席が伸びたのか?」ということをしっかりと分析すべきだと思った。
今日は、そんなチェコの「ビロード革命」のことを思い出したからではないが、シュヴァンクマイエル監督の『オテサーネク』を観たのだった。
)