80歳の老人として生まれて成長するとともに若返り、年老いて死んで行くときには幼児だったというベンジャミン・バトンの生涯。そりゃあ原題にあるように「Curious case」だなあと思い、まさに「Curious」な映画なのかと、ちょっと敬遠していたのだが、監督はデヴィッド・フィンチャーだし、一方の主演者が先日『キャロル』で「やっぱりいいなあ」と思わせられたケイト・ブランシェットだし、「観てみよう」ということになった。
つまり、ベンジャミン・バトンの人生は逆転しているとはいえ、外の世界との出会いということでいえば誰もがたどるようなオーディナリーな人生なのだと思ったが、そんな「普通に<人の一生>を描いた映画」だとしても、それが人を惹きつける話であれば気もちが行くわけで、わたしはそんなベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)が壮年を迎えてようやくデイジー(ケイト・ブランシェット)と結ばれるあたりからツボにはまり、それからラストまでずっと涙を流しながら観ていた。いったい何がそんなにもわたしのツボにはまったのか、どうもわたしにもよくわからないのだけれども、やはりわたしも「老い」を迎えつつあるからだろうか、とは思う。そういう意味できっと、人の人生を描いた映画だったらどんな映画でもハマってしまうのかもしれないな。
しかしやはり、ベンジャミン・バトンの人生は「Curious」ではあるわけで、デイジーと結ばれるまでにも時間がかかったし、いちど結ばれてもそのあと、「いっしょに老いて行く」という未来が待っているわけではなかったのだ。そういう意味で「オーディナリー」ではない別れ方も悲しくはあった。
よくわからないがこの映画、特にその前半では、そのベンジャミン・バトンの容貌をあらわすのにず~っと「視覚効果」を使いっぱなしで、なかなか大作業だったらしいのだが、そういう点で普通にこの作品を観ていて、あまりギミックな演出に頼らずもオーソドックスなつくり方の中で、美術、映像、音響、そして役者の演技とのトータルな調和がみられた作品、という印象もあった。
出演者として、見かけはまだ老人なベンジャミン・バトンがさいしょに仕事に就く曳航船の船長が、わたしが久しぶりにその姿を見るジャレット・ハリスだったのがうれしかったし、その船の立ち寄ったロシア(ソヴィエト)のホテルでベンジャミンが出会って関係を持つ人妻がなんとティルダ・スウィントンで、この人妻がかつて水泳で「ドーバー海峡横断」一歩手前まで成し遂げた人物だったのだけれども、ベンジャミンと別れたずっとあとになって、「60歳を超えて泳いでドーバー海峡を横断した」と、テレビのニュースに出て来るのだった。ティルダ・スウィントンらしい、「いい役」ではあった。