ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ストーカー』(1979) アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー:原作・脚本 アンドレイ・タルコフスキー:監督

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  • アレクサンドル・カイダノフスキー
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 なんというか、「おとぎばなし」みたいなストーリーではある。何かの理由であるときから「立ち入り禁止」にされた、「ゾーン」と呼ばれるエリアがある。しかしその「ゾーン」の中には、そこに入ると何でも願いがかなうという部屋があるという。その「部屋」へ行くことを望む人らを、そこまで案内するのが「ストーカー」と呼ばれる人。この映画では、「ストーカー」は「作家」そして「教授」の二人を「ゾーン」へと案内するのだ。
 「ストーカー」には妻子があるのだが、妻は彼に「もうゾーンへ行かないでくれ」と哀願する。まだ幼い二人の娘は、「ストーカー」が「ゾーン」へと行く影響からか、足がないのだと語られる。
 「ストーカー」自身が「部屋」へ入り、自分の望みをかなえればいいのではないかということになるが、「自分が本当に望むことがかなう」ということへの「畏れ」が「ストーカー」にはあるのだろうか。部屋に入って富を得て、そのあとに自殺した人の話を「ストーカー」は語る。

 「望むことがかなう」ということは、宗教的な祈願ではあるだろう。「ストーカー」は、自らをそんな人々の希望のための「使徒」「僕(しもべ)」とでも考えているようではある。どう見てもこの作品の背後には宗教への思い、思索があるだろうとは思うが、わたしは「宗教」についてマジメに考えたことのない人間なので、こういうのはホントに苦手である。だから映画ラストの一種の「奇蹟」についても、何をどう判断したらいいのかわからない。

 ただやはり、この作品の演出について、そして「映像美」については、観ていて「すごいなあ」と惚れ込むしかないところはある。「壮大な作品だなあ」とは思うが、わたしの知らない世界についての作品ではあり、この作品を観たからってどうのこうのということはないのだ。
 それでもやはり、「いつかまたゆっくりと見直してみたいものだ」とは思う作品なのだった。