「前田敦子は、周囲の何ものにも頼らず、たったひとりでその場所に堂々と存在することのできる、日本ではめずらしいタイプの俳優だ」というのは、黒沢清監督の言葉。わたしは去年の黒沢監督の前田敦子主演映画『旅のおわり世界のはじまり』を観ても、実はそのことがよくわからなかったのだけれども、この『Seventh Code』を観て、そのことを実感した。
例えば、特に「女優」とかであれば「女優なのにすごい!」とか「女性であることを超越している」とか言われたりもするのだろうけれども、この『Seventh Code』の冒頭の、彼女のキャリーバッグを引きずりながらの「疾走」を観ると、ただただ「あっけにとられてしまう」のである。もちろんそれは黒沢監督の演出の「妙」でもあるのだけれども、このファーストシーンを観て、前田敦子が「(実は歌手であるところの)女の子」だとか「女優」だとか言うことはもう「どうでもいいこと」になってしまう。ただ、突っ走る前田敦子を見つめるしかない。
黒沢清監督の作品としては、あの哀川翔主演のヴィデオ『勝手にしやがれ!』シリーズだとか『復讐』2作、『蛇の道』、『蜘蛛の瞳』の延長線上にあるようにも思えるけれども、いやはや、わたしはそんな哀川翔主演作品をほとんど記憶していないものだからどうこうと言えるわけでもない。ただ、この「ワンシチュエーション」で追っていく作劇、演出の魅力というものを堪能するしかない。
本来は前田敦子の新曲「セブンスコード」のミュージック・ヴィデオとして製作されたらしいのだけれども、製作会社の日活が「映画にして、時期的に合うローマ国際映画祭に出品しましょう」ということになり、なんと全篇ウラジオストックでの「海外ロケ」で撮影されたという。結果として「ローマ国際映画祭」インターナショナル・コンペティション部門では「最優秀監督賞」と「最優秀技術貢献賞」とを受賞したとのことである。
とにかく、全編にわたっての「ロングショット」を多用しての演出こそが、まずは素晴らしい。ひとつの画面の中に主題とされる人物らの動きがあり、それだけではなく同時に「部屋の奥」、「窓の外」などの情報がいっしょに提示される。
主人公は秋子だが、東京で知った男を追ってウラジオストックまで来ている。男に拒まれても男をひたすら追う秋子の姿からは、「これは一途なストーカー的<恋愛映画>?それとも<スパイ映画>?」と迷うのだが、ある瞬間の「あっと驚く」展開から、「そうか、やっぱりそうだったのか」と思うことになる。
わたしなんかは、あんまり先のことを読まずに「そうだったのかよ!」と思いながら観るタイプの観客なので、この「えええ!やっぱり!」という驚愕は爽快ではあった。
それでその「驚愕」はそれだけにおさまらず、「わっはっは!」という壮絶なラストへとなだれ込んでいく(笑ってはいけないのだが)。
まあわたしとしては、黒沢清監督は主人公を哀川翔から前田敦子にチェンジして、さらに映画技法を深化、進化させた作品だと了解し、めっちゃ楽しんだわけではあった。やはり、もう今週末に公開の迫った『スパイの妻』を早く観たい(前田敦子は出ていないが)。