今朝見た夢の断片。なぜか三宅裕司らしい男性が、インタビューに答えるようなかたちでしゃべっている。彼が語っているのは戦時中のことで(彼の実年齢には合わないのだけれども)、その時代に彼は(おそらくは)渡辺えり子といっしょに、いろいろな芝居や楽曲を書いたのだという。そのときに二人といっしょになって執筆して協力してくれた、今では名前もわからぬ複数の女性たちがいたのだという話をしている。ただこれだけの記憶。
昨日出会った、あの「オッド・アイ」のネコのことを考え、「美しいネコだったな」とは思い、あんな美しいネコが野良でいることはあまりに不憫だと思ったりする(まあすべての野良ネコは「不憫」なのだが)。考えて、あのコをウチに連れて帰ってニェネントといっしょに育てることは出来ないだろうか?とか思うのだけれども、わたしがずっとそのコの面倒をみられることも考えにくいし、そもそもわたしが知っているニェネントは実は気性が荒く、「よそモノのネコ」と融和的に暮らして行けるわけもないのだ。でも、世の中に大きな声で、「ココにこんなにきれいな<オッド・アイ>の白い野良ネコがいます。誰か飼ってあげてくれませんか?」みたいなことを叫びたい衝動には駆られてしまうのだった。
今日は仕事の休みを取って、国分寺の「てんかん」専門クリニックへ行く。この日は「脳波検査」をやることになっている。一年に一度はこの脳波検査をやるのだけれども、去年の春の頭の手術のあと初めての脳波検査なので、この結果で安心したいところだ。
検査の予約時間は10時20分で、それはちょうど行くのも通勤ラッシュの真っ盛りの時間でもあるし、出来れば東京都心へ出て行くコースは避けたい。普段は「新御茶ノ水駅」でJR中央線に乗り換えていたのだけれども、人混みを避けたいわけだし、ちょっとだけいつもの通勤コースの電車に乗り、4つ目の駅で「武蔵野線」に乗り換え、ぐるりと東京を迂回するコースを考えた。このコースならばそんなに「ラッシュ」ということもないだろうとの予測。そして、「乗換案内」で検索すると、このコースの方がちょっと早く到着するのだった。家を出るのは8時ぐらいでいい。
ただここで考えたのは、持っている定期券で使うのは近隣の4つの駅のあいだだけなので、運賃としてはけっこう(千円ぐらい)かかってしまう。ただ、電車を乗り換えるあいだ一度も改札の外に出ないわけだし、それはいつもの通勤コースの「東西線」をそのまま乗り越して行っても「三鷹」とかに出るわけで、一度も改札の外に出ないということでは、どちらも同じなのだ。「東西線」を乗り越して国分寺まで行けば、「乗り越し料金」は500円ぐらいのものなのだが、さて果たして、国分寺で改札を出るときに、「武蔵野線」を使った運賃が適用されるのか、それとも「東西線」経由で計算されるのだろうか?ということで、これはおそらくは改札の外に出ないわけだから誰も判断のしようもないわけだから、きっと「定期券はフルに使った」と判断され、安い「東西線」経由の運賃になるのではないだろうかと予測した。これがどうなるのか、ちょっと楽しみでもあった。
8時ぐらいに家を出て駅に着いてみると、さすがにラッシュアワーで、「この駅にこんなに乗降客があったのか」という驚きがあった。まあウチの駅は始発駅から2つ目の駅だから、やって来た電車はそこまで混み合ってはいなくて、楽に座ることができた。
それで「武蔵野線」に乗り換えると、やっぱり予想した通りに空いているというか、座れなくて立っている人もほとんどいない。まあ一時間強の長い道のり、途中で(特に埼京線とクロスするあたりで)いっしゅん混み合ったりもするけれども、それもすぐにスッとみんな降りてしまったりする。
わたしが降りた「西国分寺」駅でも、中央線との乗換駅でもあるから大勢の人がいっしょに降りて、通路は相当に混み合っていたけれども、ほとんどの人は豊田方面のホームへ行かれ、国分寺方面に行く人はあまりいなかった。
改札を出るときにSuicaを改札にかざし、「さあいくら引かれるかな?」と思ったら、やはり引かれたのは500円ぐらいで、わたしは「東西線」を利用するなどして国分寺まで来た乗客、ということにされていた。「コレはアレだな、アリバイ工作に利用できるのではないのか。コレを使って推理小説とか書けないか?」などと、バカなことを考えてしまった(すぐバレるトリックだ)。
クリニック到着。しばらく待って、まずは睡眠誘導剤を飲んで、「脳波検査」の準備。「脳波検査」のときには眠ってしまった方がいいのだが、わたしは今まで何度か受けた「脳波検査」で、睡眠誘導剤を飲んでいてもちいっと眠くならず、いくら頭の中で沈黙している羊たちの数を一匹ずつ数えても、検査を終えるまで「ぱっちり目覚めたまま」ということの繰り返しなのだった。
検査が始まって「やはり今日も眠れないのだろうか?」とは思っていたのだが、ふと気づくと、検査の方に起こされるのだった。すっかり「安眠」してしまった。今日はばっちり「脳波検査」の結果も出たことだろう。
またしばらく待って、担当医の先生から結果の説明など。前回採血された「血液検査」の結果も出ていて、この日の「脳波検査」と合わせて、大きな異常は何も認められないということだった。まあ昨春の「慢性硬膜下血腫」というのは脳波に異常を引き起こすようなものではないのだろうが、同じ「脳」のことではあるし、まったく不安がなかったわけではない。手術後の回復もバッチリ、というところだろう(ただ、記憶力の低下は引きつづいてはいるが、コレはもうどうしようもないことだろうか)。
脳波検査で1時間からかかったし、クリニックを出たらもう12時半を過ぎていた。普通昼食の時間で、ちょっとどこか店に入って食べようかとの気にもなったけれども、やはりやめておいて、コンビニでサンドイッチなどを買い、駅のホームのベンチで味気ない昼食になった。やはり、こうやって「遠出」したならば、せめて昼食ぐらいは気に入る店を探して、その店で食事したいものだと思った。
最近毎回、このクリニックに来たときは帰りに三鷹で途中下車し、お気に入りの古本屋に立ち寄って本棚をゆっくり見てまわり、何冊かピックアップして買って帰るのだったが、今は読みたい本もウチの本棚で順番を待って「早く読んでくれよ~」と騒いでいることだし、今日も寒いし、また人混みの中に出て行くのも避けたい気もちもあり、「早くニェネントの待っているおうちに帰ろう」と、来たときと同じく「武蔵野線」を使って、まっすぐ帰路に着くことにした。
2時半ぐらいに自宅駅到着。空はどんよりと曇り、寒い。帰り道はネコではなく、ハクセキレイやカラス、そしてムクドリらの鳥たちと出会った。木の枝のてっぺんにとまったムクドリがカッコよくって、カメラを向けてみた。
帰宅すると、ニェネントがベッドの上に横になっている姿、その二つの耳のシルエットが、窓からの逆光のなかでチラリと見えた。相変わらずわたしが帰宅してもすぐに「お出迎え」などしてくれないが、帰って来たとき、この部屋にニェネントが居てくれたらそれでいい。いちおう、「ただいま~」とはニェネントくんに声をかける。
しばらくするとニェネントも和室からリヴィングに出てきて、わたしと「付かず離れず」の距離でわたしをウォッチングする。そんなニェネントをとっつかまえて、膝に乗せて写真を撮ってみる。「いやがる」とかそういう顔ではなく、何というのだろうか、「空っぽ」の顔に見える。それは良く言えば、「わたしにすべてを預けている」という顔にも見えるのだ。‥‥むむ、そこまで無防備になられても。
夕食はご飯を炊いて、何もつくらずに「レトルトカレー」を温めてかんたんにすませる。
食事のあとすぐに横になるのはよくないとわかっているのだけれども、食事を終えたあとはベッドに横になって本を読む。
以前はわたしが本を読んでいてもかまわずにニェネントはベッドの上に跳び乗ってきたものだったけれども、最近はわたしが読書灯をつけて本を読んでいるあいだは「ウェイト」していて、わたしが「もう寝よう」と本を置き、読書灯を消したとたんにわたしの上に跳び乗ってくるようになった。わたしが本を読んでいるあいだは相手にしてくれず、かえって「じゃましないでよ!」と追い払われてしまうことで「学習」したのだろう。
ま、そこからがわたしとニェネントくんとの「濃密」な時間で、ニェネントが「もういい」とベッドから降りて行くまで、たっぷりとかまってあげるのである。
今日はクリニックから帰ったあとはテレビも見ず世の中のことも忘れ、ゆっくりと休息した。明日は晴れて暖かくなり、四月並みの陽気になるという。「それは洗濯日和だな」と思う。一月も半分終わるのだ。