今日は、めっちゃ暖かくなるという。四月の陽気になるとか。でももちろんこれで冬が終わるなどというわけではなく、また明日からは寒くなるらしい。洗濯物もたまっているので、今日の優先事項の一位は「お洗濯」。洗濯機にあれもこれも放り込んでスイッチを入れ、洗濯が終了したら外に干す。まだ朝が早いので暖かいのかどうかよくわからないけれども、空はきれいに晴れている。
洗濯物を干していたら、イヌが「ワンワンワン」と吠える声がした。「どこの犬?」と思ったら、ウチの隣家の2階のベランダにイヌ(おそらくはチワワだろう)がいて、柵のすき間からわたしに向かって吠えているのだ。あまりに吠えて憎たらしいので、写真を撮ってやった(皆さん、コイツが、何もしていない無実のわたしに吠えかかる犯人です)。
この隣家は、わたしがこの部屋に転居してきたころもチワワを飼っていたのだが、やはり普段は2階のベランダにたむろしていて、わたしが窓を開けるたびに柵のすき間から吠えてきて大騒ぎになり、そうでなくってもよく窓の外からいつまでも吠える声が聞こえ、まあかわいいんだけれども「うるさいなあ」とは思っていた。それがしばらくすると鳴き声も姿も見られなくなってしまい、「ああ、あのイヌ、いなくなったんだ」と、それからは静かな生活がつづいたのだった。どうやら、久しぶりに「新しいイヌ」を飼い始めたということなのだろうか(前のコは、真っ白だった)。今度のコは、しょっちゅう吠えていた前のコに比べると、これでもずいぶん静かなようだ。
「暖かい日になる」というのなら、また公園まで散歩にでも行ってみようかとか考えたのだけれども、なんだか動く気にもならないまま、午前中はすぎてしまった。それで午後はベッドで本を読むのだが、それはもう自分で「これから昼寝しますよ」と決めているようなもので、案の定しっかり寝てしまい、目覚めたら4時になっていた。けっきょく、どこにも出かけない一日だ。
「暖かいのだったら風呂を沸かすのも早いだろう」と、風呂の準備をした。まあそこまでに早く「いい温度」になったわけでもなかったが。
風呂でひげを剃っていたら、なぜか鼻の下をチャッと切ってしまった。まあひげ剃りしていて切ってしまっても普通そんなには出血しないのだけれども、今日はかなりの出血。血しずくが風呂の床に垂れ、「事件現場」みたいになってしまった。風呂を出てからもなかなか血がとまらず、ゴミ箱は赤く染まったティッシュの山になってしまった。
わたしは今、「血液がサラサラになる薬」というのをずっと服用しているわけで、以前にも、「その薬を服用しているとケガしたときとかなかなか血が止まりませんよ」と言われたものだったけれども、まさに今日はその弊害が出たというところだった。
ネットを見ていると、海外からの「東京オリンピックは中止になる可能性がある」との報道が伝えられていた。こういう海外の声はもっと以前からあったとは思うのだが、日本の報道機関も「今こそはもう、この海外の声を」という気にもなったのだろう。じっさい、アンケート調査では「中止になると思う」と回答する人は実に86パーセントになり、「開催すると思う」人は5パーセントしかいないのだ。
NHKをはじめ、日本の報道は今までまるで「オリンピック開催は難しいんじゃないか」などと自分からは言い出さなかったわけで、ようやく、こうやって海外の報道を伝えることで「わたしたちが言い出したことではないけれども」との逃げを打ちながらの「東京オリパラ中止」という意見を伝える。もっと、報道機関が皆で本気で「今の状態では開催は不可能だろう」とやっていたら、もうとっくに「中止」も決定していた可能性もある。
こうやってジリジリジリジリと日延べされることで、一日ごとに無用な税金が投入されてもいるし、早くに「中止」を決定すれば、例えば選手村などは今のCOVID-19感染者の病棟にも転用できるのではないかと思う。
「中止決定」をあくまでも「阻止」しているのは、五輪組織委員会長の森喜朗であり、東京都知事の小池百合子であり、そしてもちろんスカ総理ら、ではある。
小池都知事はこのあたり小賢しいから(?)、最近は「ぜったい開催する」とか裏付けのないことは言わないのだが、森喜朗とスカ総理はやはりマヌケだから、今になってもただ精神論で「やるのだ!」と語るだけだ。
森喜朗などは先日のスピーチで、「ネットを見るとわたしへの悪口ばかりだ」などと語るのだが、それは先に書いたようにただ精神論で「やるのだ!」と語るだけだからであり、「このような方策をとれば開催できるのではないか」という具体策を語らないからであろう(これはスカ首相も同じだが)。これでは、かつて70年以上前に、何の方策もなく「日本軍人であればやり遂げられる」と戦争を強行した旧日本軍閥と何ら変わるところはない。例えばあの悲惨な「インパール作戦」はなぜ遂行されたのか。森喜朗やスカ首相に限らず、今の日本を牛耳る「自民党」には、そのあたりの反省がまるでない。
折しもつい先日、『昭和史』の著者でもある半藤一利氏の訃報を目にしたばかりだった。わたしは半藤一利氏の著作は『昭和史』と『昭和史 戦後編』とを読んだだけで、どうこうと大きなことは言えないのだが(昭和天皇への記述はそのまま信じない方がいいな、とは思ったが)、「戦争」へと大きく舵を切っていく「昭和」という時代、そして敗戦後の「昭和」という時代について、この二冊の本から教わったこと、学んだことは大きかった。半藤一利氏は決して「リベラリスト」というのではないだろうけれども、それでも今、半藤一利氏の著作は読まれるべきだろうとは思う。わたしも『日本のいちばん長い日--運命の八月十五日』は、これからでも読みたい。