やはり、100円ショップで買った「折りたたみ傘」が壊れた。これから本格的な梅雨に突入するというときに、残念だ。せめてこの梅雨は乗り切ってほしかった。「次はちゃんとしたのを買おう」と店でみると、これが2千円以上するので考えてしまった。先日コンビニで売られていたのは千円ぐらいだったので、(これもまたすぐにダメになってしまう可能性もあるが)そのコンビニで買うことにしようかと思うのだった。
今朝は通勤のとき、仕事場の近くにムクドリがいた。前に書いたと思うけれども、わたしはムクドリが大好きだ(集団になってギャーギャー鳴くとちょっとイヤではあるけれども)。
仕事のあと、Kさんの出品している銀座のギャラリーでの企画グループ展へ行く。美術作家が「音楽」をテーマに作品を描いたもの。このギャラリーは去年田端麻子さんの個展で来たことがあるが、面白い空間のギャラリー。Kさんはジョン・レノンの曲をテーマに、「青」の美しい作品を出されていた。あと、一柳慧氏も「参考出品」されていた。
このあと、同じ銀座で開かれているミャンマーのアーティスト、ティン・リンの展覧会を観る。ビルの外見からはそこがギャラリーだとはわからず、通りがかりの人がふらりと観に来ることはあまりないだろう。それだけにゆっくり観ることができた。ミャンマーで政治犯として刑務所に収容されていた時代の作品、そしてミャンマーの習俗としての「女性差別」問題を問いかける現在の作品と。考えることの多い展示だった。
帰宅してネットを閲覧していると、「G20」絡みで、この日都内の劇場(わたしもよく行く劇場)で入場の際に「持ち物検査」をやるという。だから時間に余裕をもって来てくれというのだが、どうも意味が分からない。まず、もしもテロリストなるものがいて、この劇場を標的にしようとしていたら、この事前の告知を見て「では中止しよう」とか「標的を変更しよう」とかするだろうから、「こういう事前告知って何なのよ?」ってことになる。抜き打ち的にやるからこそ意味があるのではないのだろうか。もちろん、こうやって「荷物検査」をやることで、観客は少なくとも今日の公演は安全だ、と思うことになるかもしれないが、全体的にみた「テロの抑制」ということでの効果はほとんどないだろう。もっともっと観客の多い映画館などでの「持ち物検査」など、一切やっていないのだから。
ただこういう荷物検査の効果は、「政府官憲が<安全対策>としてやるのなら、協力するしかない」という<従順>な市民を派生させることでしかない。これは<国家統制>のひとつのかたちであり、こういうことに本来市民の<自立>を前提にして運営すべき<劇場>が協力してしまうということは、まさに由々しき事態である。この日本という国からどんどん<民主主義>というものが失われつつあることの、まさに<例証>である。
ちょっと腹が立ってしまったので、また悪い癖を出してしまい、劇場に電話して「そんなことやるんじゃない」と抗議してしまった。わたしはうるさいクレーマーおやじである。