ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-10-12(Sat)

 寒いぐらいだった先週に比べ、このところ少し気温も上がってきたみたいだ。そのせいなのか、今朝のニェネントくんはわたしの寝ているベッドの上にやってきてはくれないのだった。
 昼間YouTubeでネコの出てくる映像をみていたら、そのネコの鳴き声にニェネントが反応して、「何?何?」と近寄ってきた。「それでは」と映像をテレビに送ってやると、テレビの前に跳び乗ったのだった。
 もう普段の生活でよそのネコとかに出会うこともないニェネントくんだけれども、ネコの声とかを聞くと「仲間だ」とか思うのだろうか。それとも「ココはわたしの縄張りなんだから、立ち入るんじゃないわよ!」と、けん制しにやってくるのだろうか。

     

 今年のノーベル平和賞は、日本の「日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)」が受賞された。その授賞理由は端的に書くと「核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して」ということである。
 また、核拡散への懸念だけでなく、核軍縮に逆行する保有国の批判にも踏み込まれ、核兵器を「世界がかつて経験した最も破壊的な兵器」「文明を破壊する」と断じ、被団協に平和賞を贈ることで、核の脅しや核抑止論に向かう国際社会に強い警告を発したことになったのだ。
 時はまさにロシアによるウクライナ攻撃でプーチンは「核兵器の使用にためらいはない」という発言もしていたし、イスラエルがイランを攻撃する目標はイランの核施設であるともいわれる。現在の世界の紛争には「核」の問題がついてまわり、世界で核の脅威への危機感は増大している。ノーベル賞委員会は今回の授賞理由に「核兵器使用は道徳的に許されないと烙印(らくいん)を押す力強い国際的な規範」ということを挙げ、この規範を「核のタブー」と呼び、このタブーの確立にに向けた日本被団協被爆者の「並外れた努力」をたたえたのだ。
 また、ノーベル賞委員会は被団協の苦難の歴史と功績を評価し、「いつか、歴史の目撃者としての被爆者はいなくなる」との懸念からも、被爆者の高齢化が進むなか、次世代への継承を訴えるためもあって、今年の授賞でもあったという。

 「日本被団協」は広島・長崎の被爆者の唯一の全国組織で、Wikipediaによれば1965年に「いかなる原水禁団体にも加盟しない」ことを決定してそれまでの原水協からも脱退し、以後独自の活動を継続されてきている。SNSのネトウヨ諸氏は「日本被団協」に党派性があり、その影に「サヨク」があるのではないかと攻撃するようだが、このように「日本被団協」には党派性はない。
 ノーベル賞委員会が語られるように、今は「次世代の継承」が重要な時期に差し掛かっているだろう。そんなとき、ノーベル平和賞を受賞されたことを心から喜び、祝いたいと思う。そしてより多くの方が「日本被団協」の活動のことを知り、「協力しよう」と思われる方が出てくることも期待したい(わたしは年齢的にムリじゃ)。

 この日は「カレー」をつくろうと、午後からいっぱい時間をかけて製作にはげんだ。このところ日中の気温もずいぶんと下がってきたので、つくったカレーをキッチンに出しっぱなしにしても、早くに傷んでしまうこともないだろうという計算もある(夏のあいだカレーをつくったときは、鍋ごと冷蔵庫に入れて保存したものだったが、今は冷蔵庫に鍋を入れる余地がない、ということもある)。
 材料はボークにジャガイモ、ニンジンにタマネギだけと、シンプルにオーソドックスなものだけれども、ルーをつくる材料にはいろんな香辛料をふんだんに使用した。そして最近わたしのつくるカレーはつくりたてこそスープっぽくってわたし好みの味で美味しいのだけれども、これがつくり置きであとで食べると、つくりたてのときの美味しさが失せてしまうのだ。
 それでスープっぽくって美味しいのは「つくりたて」だけだなと反省し、今回は市販のカレールーを指定量の半分ぐらいプラスしてみた。
 うん、市販のルーだけでつくるカレーほどのトロッとした「とろみ」はないけれども、「スープっぽさ」から逃れることはできた。
 とりあえず、つくりたての味はしっかり辛味も効いて、たいへんに美味ではあった。もっと辛口でもいいとは思ったが、辛くするにはどの香辛料をいっぱいブチ込めばいいのかがわからない。でもたくさんつくったのでこれからしばらくはカレーがつづくが、明日以降の味がどうだろうか、ということが問題だ。