ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-03-02(Wed)

 この日は仕事を終えたあと、「胸骨骨折」のその後の診断のため、勤め先に近い病院へと行った。このところは何かと、いろいろな病院へと交代で通う感じではある。来週には近所の内科クリニックでいつもの定期検診、そして「COVID-19」のワクチンの3回目の接種とかも控えている。
 実は今、そうやって「白内障」と「胸骨骨折」とが重なったせいで歯科医への通院はストップしているし、もうひとつ、「側頭葉てんかん」で通っている国分寺のクリニックも1月の通院をキャンセルしてそのままにしてある。

 歯科医の方は、「インプラント手術」の一歩手前のところまで来ていたわけだけれども、そのインプラントの前に右下の歯をごっそり抜いているわけだ。しかし、その状態でもう2ヶ月ぐらい過ごしているわけで、「右下の歯がなくってもやっていけるんじゃないの?」みたいな気分にはなってしまっている。まあ前歯が欠けていると人前に出たときにみっともないところもあるだろうけれども、そういう位置の歯がないわけでもないし、そもそも今は人前に出るときは「マスク」がマスト・アイテムなわけで、人さまに「むき出しの口」をみせることもなくなっているわけだし。
 「てんかん」のクリニックの方も、もう長いあいだ「てんかん」の発作が起きたということもないみたいだし、今はただ「テグレトール」という「てんかん発作」を抑える薬を処方されるがためにだけ通院している感じになっている。ただ、2年前に「慢性硬膜下血腫」で緊急入院したとき、看護士の方から「側頭葉てんかん発作」の症状が出ていたと言われたことが気にはかかる(わたしは、この看護士さんの判断には、当人として<疑問符>をつけたいところだが)。まあまだ「テグレトール」はあと2~3ヶ月分のストックはあるから、それがなくなってからまた通院すればいいか、という気もちはある。

 さて、その「胸骨骨折」を診てもらいに病院へ行き、まずは「レントゲン撮影」をやるということで、「レントゲン撮影室」の前ですわって順番を待っていたのだけれども、わたしのまわりではわたしのあとから来られた方もさっさと撮影を終えて去って行かれ、いつまでもわたしの順番がまわって来ない。ついにはわたしの周囲には待っている方は誰もいなくなってしまった。
 出てきた病院の方に、「いつまでも順番が来ないんですけど?」と問うと調べて下さり、なんと、「伝票が正しくまわっていなかった」のだという。いつまで待っても順番が来ないわけだ。
 こういうとき、普段のわたしなら順番を待ってイライラとして、「いつまで待たせるのだ!」って怒りかかっていたところだと思うのだけれども、この日は精神状態が安定していたのかなんだか、まったくイラつくこともなく、病院側のミスだとわかったときも、「聞いてみてよかった。聞かなかったらいつまでも待ちつづけていたんだな」なんて悠長な気もちだった。うん、こういう精神状態でいることは大事かもしれない。
 まあ最近は胸の痛みもなくなっているし、自分でも「ほぼ完治」だと思っていた通り、無問題。これで「胸骨骨折」の件は解決だろう(あとは「労災」が認可されるのを待つだけ)。

 そんなこんなで普段より帰宅が大幅に遅くなり、遅い昼食をかんたんにすませてしばらくまどろんでいると、どうもリヴィングとキッチンとのあいだですわり込んでわたしを見ているニェネントくんの目線が気になる。「何をそんなに見てるのよ」と思ったら、あららら、もうニェネントくんの夕食の時間なのだった。
 「ニェネントくん、ご飯だよね!」と声をかけると、ニェネントは「にゃぁ~ん」と啼いて答える。ニェネントくんの体内時計は正確だ。
 わたしがキッチンに立ってニェネントくんの食事の準備(ネコ缶を開けて、レンジでちょびっと温めてからサプリメントをふりかけ、「乾しカマ」と「かつおのふりかけ」をトッピングしてあげる)をしているあいだも、ニェネントくんはわたしの足元でぐるぐるまわって「にゃおにゃお」と啼きつづける。準備の出来た夕食を出してあげると、さもうれしそうに「にゃぁ~ん」と啼いてからご飯にかぶりつく。ニェネントくんがいちばんかわいく感じられるときかもしれない。そして、ニェネントくんといっしょに生活していて、いちばんうれしく感じられるとき。

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 ウクライナ情勢は膠着している感もあるが、日本国内ではいろいろと変な声も聞かれている。「ヤフコメ」ではこれを機会に「憲法9条」を放棄して核武装すべきとの声にあふれているし、安倍晋三元首相は「核のシェアリング」を考えるべきと発言し、菅前首相も「議論すべき」とした。何よりも「日本維新の会」は「核共有の議論を開始すべき」と、政府に提言をしたという。
 この件に関して、岸田総理は核共有について「議論する考えはない」と語り、「非核三原則」を厳守する姿勢を見せたのは救い。これが今の総理が安倍だったり菅だったりしたら、「ではさっそく協議しよう!」とかなっていたかもしれない。

 わたしたちは、「夢物語」だとか「お花畑」とかいうのではなく、「人類は核兵器を廃棄しなければならない」という使命を持っている。「核の存在が世界大戦を抑止する力になっている」などという考えは、根本まちがっているのだ。
 「核を持っていれば世界を破滅させることも出来る」という「最終武器」に頼ることは、つまりアメリカで「犯罪から自分の身を守るために銃を持つのだ」という考えの延長にあるのだろう。その結果、アメリカはどうなっているのか。