ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-15(Fri)

 昨日も寒い一日だったが、この日も一日雨が降ったりやんだりで、わたしの感覚としては昨日よりも寒い一日になった。昼間の東京の気温は11度ぐらいにしかならなかったという。
 実はこの日は金曜日でもあることだし、仕事の終わったあとに日比谷に出て、エドガー・ライト監督の『スパークス・ブラザーズ』を観るつもりでいたのだけれども、雨降ってるし、傘がじゃまだし、とにかく気温は低いし、行くのはやめることにした。
 ただこの映画、一般的に「大入り満員」になるような作品とも思えず、どうも早々と打ち切りになってしまうように思える。早く観に行かないと終わってしまうだろうから、明日にでも出直して観に行こうかとも考えるのだった。今日は寒いから、ウチでニェネントくんとまったりとしよう。

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 その仕事の帰り、自宅駅の前の「New Days」で、「日本各地の駅弁」を集めて売っているのをみて、「明石名物 春のひっぱりだこ飯」というのを買ってしまった。お安くはない。

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 帰宅してから食べたが、まあ味のことは言わないことにしておこう。でも大きなタコが入っていた。

 それでこの日は、せっせと読みさしのパトリシア・ハイスミスの『水の墓碑銘』を読み進め、夕方には読み終えた。
 自分の日記で調べると、2004年から書いている日記にこの本を読んだという記述はなく、どうやらこの本を読んだのは2004年以前のことではないかと思える。しかし、その結末こそ記憶から飛んでしまっていたけれども、作品の中で起きる2件の「殺人」についてはおぼろげながら記憶していた。
 自分の「記憶障害」の中では珍しい「記憶力」で、それはそれだけこの作品の「殺人」が印象的だったのか、ちょうどこの読書体験が「記憶障害」の谷間にあって、消失せずに残っていたということだろうか。わたしには後者のように思える。
 とにかくは、予想を超える面白い作品ではあった。

 読み終えたあと、「Amazon Prime Video」で配信されているその小説の映像化作品、エイドリアン・ライン監督の『底知れぬ愛の闇』を観始めた。なぜか「吹替え版」しか存在せず、あんまり好きではない「吹替え版」でガマンしたが、今日は半分まで観たところでやめた。
 半分までのところで感想をいえば、この映画化作品はやはり、原作を読みそこねているように思える。はたして後半、原作でのコミカルなタッチをちゃんとやってくれているかどうか?

 ウクライナ情勢に絡んで、自民党は日本の防衛費をこれまでの「GDP比1パーセント」という縛りを外し、「2パーセント以上」という提言をするという。
 今も相変わらず「日本も核武装を」という声も大きいし、「日本を守るには<先制攻撃>能力を持ってこそ」という意見もある。
 よほど「戦争をしたい」という人らが存在するようだが、もしも仮に日本が「核武装」をしたとして、はたしてその「核ボタン」を押せるのか?ということは考えていただきたい。
 日本は今もアメリカの「核の傘」の下にあり、いわゆる「非核三原則」というものも実は守られていないことは皆が知っている。そんな状態を差し置いて、日本が「防衛」のために核兵器を使うなどということを、まずはアメリカが許すわけがない。そういうことはアメリカが判断する問題なのだ。
 そんなことは日本が「仮想敵国」とする中国や北朝鮮、そしてロシアは百も承知である。たとえ今の日本が「核武装」しても、「平気の平左」であろう。もしも仮に日本が核装備したとしても、日本がアメリカの傘下にあるかぎり、ぜったいに日本国として核兵器は使えないのだから。
 そのことを抜かしても、<先制攻撃>などと言って核兵器を先に使ってしまえば、日本は国際的に批難を浴びることになる。それが「核の均衡」であり、そのことを考えても、日本の核武装論は現在の極東の政治情勢の中では、ナンセンスなのである。そのような動きには警戒しなければならない。というか、どんなに「理想論」とか言われようとも、世界は「核兵器の廃棄」に向けて行動すべきだと思う。
 しかし、もしもその「防衛費」の増強から、例えば避難施設、「核シェルター」のようなものを日本の要所に建設するというのなら、それは現在の世界情勢から批判することも出来ないか、とは思う。