ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-08-17(Sat)

 台風7号はこの日の未明に銚子の遥か沖を通過し、そのときに日本本土に最接近したのだと思う。朝わたしが起き出したときには、台風が近づいていたなどとはとても思えない陽の光が、窓の外から射し込んできていた。天気予報では「今日は気温が上がるよ」と言っていた。わたしはこの日も特に買い物に出る必要もなかったので、いちにちじゅう部屋にこもっていた。

 5年前に台風がこのあたりに来たときには、台風のあとにスズメの姿が見られなくなったとか言われたし、「スズメがけっこう死んでいた」というようなネットの書き込みもあったみたいだった。この日わたしは部屋から出なかったので、外の世界でスズメがどうしているかはわからなかったけれども、このところ外を歩いていても、スズメの姿はよく見かけていた。
 しかし、スズメというのはなかなか写真を撮らせてくれなくって、撮ろうとカメラを向けると「撮らないで!」って感じで飛び立ってしまうことが多い。うまく撮れたと思っても、ピントが合ってなかったりする。下の写真は先週撮ったのだけれども、「うしろ向き」になってしまっているのだ。

     

 さて、先日のネットのニュースで、長崎市が「平和祈念式典」にイスラエル大使を招待しなかった問題、その結果アメリカやG7の大使らも式典に出席しなかった件で、例の「夕刊フジ」が長崎市の判断を批判していたのだった。
 要するに「夕刊フジ」(このコラム記事は八木秀次という人が書いているのだが)の言い分は、「ロシアはウクライナに一方的に侵攻し、その主権を踏みにじっている。一方、イスラエルは民主主義国家で、ハマスの攻撃を受けて自衛の措置としてパレスチナガザ地区を攻撃している。」「そんなロシアとイスラエルを同列視して式典から排除することは大局観の欠如であろう」「長崎市パレスチナの代表は招待している。どう考えても長崎市は民主主義国家の普遍的価値の共有を拒否しようとしたようにしか見えない。それは『反ユダヤ主義』とも映るだろう」というのである。
 そして結論。「制止できなかった日本政府も同罪だ。日本だけが別の価値観に立っているように見える。これは小さな問題ではない。国家としての存立価値の問題だ。」

 このわたしの「要約」がわたしが都合よく抜き書きしたものと思われてもアレなので、そのニュース記事自体をリンクさせておきます(いつまでリンク先を読めるかはわからないけれども)

<(この文字列をクリックしてね!)長崎市はロシアとイスラエルを同列視するな「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」招待見送り、民主主義国家の普遍的価値共有拒否か>

 つまりここで「夕刊フジ」は、イスラエルという「民主主義国家」を排除したことで、「日本は民主主義国家の普遍的価値を共有することを拒否しているのだ」というわけだろう。

 これは簡単なことで、「夕刊フジ」はアメリカやG7の国こそが「民主主義」を体現する国家であり(もちろんイスラエルもだ)、日本はこれらの国に従うことこそが「民主主義」を実践するということなのだ、というわけだ。何が何でも日本はアメリカや西欧諸国に隷属すべきなのだ、というのがこの「夕刊フジ」の主張なのであろう。

 「夕刊フジ」の意図に反して、この記事のコメント欄には「夕刊フジ」に賛成、同意するコメントはほとんど見られない。そのあたり、たとえネトウヨといえども皆さんノーマルというか、誰もが「今イスラエルガザ地区でやっていることは、ロシアがウクライナでやっていることと同じ、むしろそれ以上に<非・民主主義的行為>だ」と了解しているのだ。ここで長崎市がそういうインチキな「民主主義」などに同調せず、「核兵器許すまじ」という原点からの「人道主義」で動いたことは、大いに評価できることだろうとは思う。少なくとも「夕刊フジ」には、「反戦」「人命こそ第一」という意識の持ち合わせはないのだろう。

 さて、「今日こそはカレーをつくるぞ」と、夕方からカレーづくりにはげんだ。前に買ってあったカレー用のスパイスを使っての「製作」だけれども、3~4種類そろえてあるスパイスそれぞれの、「このスパイスの分量を増やせばこ~んな味になる」などということは、まったくわからないままにつくっている。
 完成したカレーはわたし好みの味にはなったのだが、「どのスパイスがどんな味」というのもわからぬままでは、料理人としては失格ではあろう。