ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-07-07(Thu)

 仕事の帰り、「今日もネコたちには出会えないのだろうか」と思いながら「野良ネコ通り」を歩いた。すると、いつも「ハナクロ」か「ヒゲ殿下」がたむろしていた駐車場の車の影に、「ヒゲ殿下」が寝っころがっている姿を見つけた。

     

     

 わたしは先月の6月10日に、この同じ場所で「ハナクロ」くんに出会っていたが、「野良ネコ通り」でネコに出会うのはそれ以来、約一ヶ月ぶりのことだった。というか、「野良ネコ通り」以外でもそれから外でネコに出会ったこともなかったわけで、とてつもなくうれしい。また「生きる希望」も湧いて来る思いがする。

 家に帰れば、ニェネントくんがわたしを出迎えてくれるわけだし、それはニェネントくんはわたしに(ある程度)なついてくれていて、限りなくかわいいのだけれども、彼女はあまりに「ツンデレ」なものだから、わたしが帰宅してしばらくはわたしの近くでゴロゴロしているのだけれども、そのうちに和室の押入れの中に引っ込んでしまう。
 ニェネントはわたしに「かまってほしくって」、それでわたしのそばでゴロゴロしていて、わたしが彼女をかまってやらないもので「つまんないの!」と、押入れに入ってしまうのかと思ったこともあったが、そうではなく、ニェネントがリヴィングでわたしのそばにいるとき、「では遊んであげましょう」とわたしがニェネントに近づくと、ニェネントは「そういうつもりじゃないんだよ!」と、サッサと和室の押入れに逃げて行ってしまうのだ。

 ‥‥つまり、ニェネントくんはわたしにかまってほしくってわたしのそばにいるのではなく、逆にわたしが仕事から戻ったもので、「じゃあ、かまってあげようか?」と、わたしのそばに出て来てくれるのではないかと思うのである。
 すべてはニェネントくんのペースで行われていて、やはりわたしは「ニェネントさまの僕(しもべ)」なのである。平たく言えば,わたしこそがニェネントさまに「飼育」されているのであり、わたしの意思でどうこう出来るモノではないのだ。

 しかし、この頃は朝に仕事に出る前になんとかニェネントどのをとっつかまえ、ブラッシングをしてあげるようにしている。ニェネントさまも早朝にはスキがあり、わたしはそのスキを見逃さずに彼女をキャッチし、ブラッシングするのだ。ニェネントさまもけっきょくは「ブラッシングしてもらうの大好き!」なのではあり、ニャアニャアとなきながらも、わたしの乱暴なブラッシングを受け入れてくれるのである。

 さて、今度の日曜日は「参議院選挙」の投票日である。外を歩いていると、その選挙のポスターの貼られた掲示板があるわけだけれども、何だか今回は「そんな政党あったんだ?」みたいな政党名の候補者のポスターが目につく。
 ひとつには、今のリベラル系の政党の凋落ぶりというのがあまりに露わで、「コレをチャンスに!」という気分もあるのかと思うし、どうやらそういう「聞いたこともない政党」というのも、たいていはけっこう「右寄り」のスタンスのようだ。

 今の状態で、日本はもっともっと右傾化してしまうことは避けられない情勢だけれども、それはもちろんリベラル系の政党が「無為無策」というせいだろう。
 どこかのリベラル系の大きな党なんか、「<野党は反対ばっかり!>と言われるけれども、わが党は与党の提出する法案の半分には賛成してるんですよ!」などと、与党支持者にすり寄るような発言をする。

 わたしが考えるに、その根本のところで、「リベラル」=「社会主義」みたいな旧的な見方を払しょくされていないところがあると思う。そして、「社会主義」=「マルクス主義共産主義」ということを、今のリベラル政党はクリア出来ないでいる。
 現在の日本の一般的な政治観は、「中華人民共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」はまったくもって「民主主義国家」ではなく、それは根底に「マルクス主義」があるからだという考えであり、それはスターリン時代の「ソヴィエト連邦」にさかのぼることでもあり、さらに今げんざいのロシアによるウクライナ侵攻の背後にも、そんなスターリンソ連の「影」を皆が見ているわけである。

 これが日本特有の現象なのかどうかわからないが、「リベラル」はどこかで「マルクス共産主義」に通じているという「疑念」を、日本のリベラル政党は払しょく出来ないでいるのではないのか。

 長くなってので、このことはいずれ書き継ぎたいけれども、「リベラル」=「マルクス共産主義」ではない。
 わたしは自分では「リベラル」の側に立っているとは思っているけれども、若い頃からずっと、「マルクス共産主義」にはまったく反対する立場にいる。そして、そのことに「これからのリベラルのあり方」が確固としてあると思っている。今日はここまで。