ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-06-02(Sun)

 また夜中に目覚めてトイレに立ち、ベッドにもどってまた寝ようとしたら、ニェネントくんがベッドの上に跳び乗ってきて、わたしのお腹の上に居座るのだった。おや意外。昨夜ニェネントくんを抱き上げていっしょに寝たのが効果的だったか。ニェネントくんが寝ているわたしの上にあがってくるのは、今までは毛布を使っている寒い時期だけだったので、ちょっとうれしいおどろきだった。
 ニェネントくんはしばらく、おそらくは一時間ぐらいはわたしのお腹の上でまどろんでいたようだったけれども、「やっぱりココがいいや」と、気に入ってくれたのかな?

 昨夜は寝る前に「プロジェクトX」の過去の再放送、かつて日本ビクターがVHSシステムを開発した裏話をやっていたのを見てしまった。
 わたしは普段この番組はめったに見ないのだが、当時VHSがベータを逆転した話はよく憶えていたし、ベータ・システムの圧倒的な優勢の中、本社にも隠れるように少人数で開発をしていった話には「ロマン」があるというか、わたしも当時はすっかりVHSデッキのお世話になり、デッキの調子が悪くなると分解して中のメカをたっぷり観察した記憶もあるので、けっこう身近な話でもあった。カセットのテープデッキは外からのぞき込んでもだいたいのメカはわかるのだけれども、VHSのデッキを開けてみると、その読み取りヘッドの大きさとかテープを接触させる仕組みとか、見ていて「こ~んなになっているのか!」という、軽いおどろきに似たものがあった。
 一企業の中の話だけれども、会社全体として一丸となって取り組んでいたわけでもなく、デッキを完成させた人たちには相当の達成感があったことだろうな。

 下の写真は昨日撮ったもので、北のスーパーの近くの道沿いに無造作に立っている石碑。以前から「何の石碑だろう?」と気にはなっていたのを、写真に撮ってみた。

     

 もともとは別のところにあったものを動かしてきたものだろうが、左の碑には「文化五辰」と「青面金剛王」の文字が読める。おそらくは右の像がその「青面金剛王」なのだろう。
 「文化五辰」というのは西暦1804年のことで、220年前になる。意外と古いものなのだ。そして「青面金剛王」というのは庚申信仰の本尊で、つまりこの石碑はよくその名は聞く「庚申塔」というものなのだ。
 「庚申塔」について調べると、中世には盛んだった庚申信仰も18世紀末にはすたれ、明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進めたという。
 Wikipediaには「現在、残存する庚申塔の多くは寺社の境内や私有地に移転されたものや、もともと交通量の少ない街道脇に置かれていたため開発による破壊を免れたものである。田舎町へ行くと、今でも道の交差している箇所や村落の入り口などに石塔が全国で見ることができる」との記述があり、まさに、この庚申塔もそんな一つなわけだった。

 この日もまた午後から「ゴジラ映画」で、『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』を観た。監督は「ガメラ映画」で著名な金子修介なのだったが、ここでゴジラは「戦争で命を失った人たちの怨念を背負った存在」で、それを『護国聖獣伝記』という古文書に書かれたバラゴン、モスラキングギドラとが「(国家ではない)くにを守るために撃退する」というコンセプトで、「その設定を誰も疑問には感じなかったのか」とは思ってしまう。ま、誰も以後もそういうことを問題視した人はいないようなので、「わたしの考えすぎ」なのだろうが、見ていて愉快ではなかった。

 映画を観終わる頃、窓の外がバサバサと騒がしかった。「何だ?」と思ったら、かなり激しい雨が降っているのだった。こうやって、部屋の中にいて外の雨の音が聞こえてくるのは珍しいことだ。去年よくいわれた「ゲリラ豪雨」というヤツなのか。そのあとのニュースを見ていると横浜から都内、そしてこのあたりにかけてそんな「豪雨」が駆け抜けたらしく、映像でとなりの市で車道が水浸しになっている様子などもちょっと写されていた。こ~んなときに外出していたら、傘も役に立たないだろうしエラい目にあっていたことだろう。
 雷鳴もいちどだけ轟いたのが聞こえたけれども、またまた「雷鳴」はいちどっきりだった。どうも最近このあたりを襲う「かみなり」は、決まって雷鳴は一度だけなのだ。何度も雷鳴が繰り返されるよりはずっといいけれども。

 夜は「ダーウィンが来た!」で、「アメンボ」の特集だった。「アメンボ」の名の由来がその身体の「飴のような匂い」から来ていることは知っていたが、その生態などあまりに知らないことばかりだったので、「そうか、そうだったのか?」と、おどろきの多い番組だった。