夜中(深夜)に目が覚めた。「あれっ?」と思ったら、外から「ゴロゴロゴロ」とかいう、クジラが下痢をしているようなすっごい音が聴こえて来た。「あ、カミナリだ」とは思ったけれども、その雷鳴は少なくとも5秒ぐらいは継続した。わたしがまず思ったのは、「ニェネントくんは怯えていないだろうか?」ということだった。時計を見ると午前2時をちょっと過ぎたあたりだった。
ニェネントくんは、こういう雷鳴とか花火の打ち上げ音が大の「苦手」で、部屋の中を右往左往してしまうのだ。「どうしてるかな?」と思って起き上がってリヴィングへ行ってみたが、どうやら押入れの中に避難したようで、ニェネントの姿は見えなかった。
それでもわたしがリヴィングへ行こうとしたとき、ちょうどキッチンの窓の外が、稲妻の光でピカリと青く光ったりしたのだった。
ニェネントくんも避難しているようだからいいか、とわたしはまたベッドにもぐり込んだが、それからも二、三度、やはり長く続く雷鳴が轟いたりはした。
もう起きる時間になって起き出したが、もうカミナリは収まっていて、雨も降っていないようだった。しかしテレビをつけていると不意に、テレビの画面が真っ黒になってしまった。音もだんだんに小さくなり、聞こえなくなってしまった。チャンネルを替えると、他のチャンネルも真っ暗だった。
「ヤバい! ついにテレビも壊れてしまったか!」と思い、「今はテレビっていくらぐらいするんだろう?」とか考えるのだった。
しかし冷静に考えると、何も映らなくなっているとはいっても、リモコンでチャンネルを替えると、そのチャンネル情報は画面の右上にしっかりと表示されているのだった。つまり、これは「テレビの故障」で画面が映らないのではなく、おそらくはカミナリとかの天候のせいなんだろうと思った。それで一度電源を切り、もういちど電源を入れてみると、タイミングが良かったのか、もう普通どおりに映るのだった。びっくりしたのだった。
この日はこのあと雨に降られることもなく、また「折りたたみ傘」を使う機会はなかった。
仕事の帰りにひと駅乗り越して、駅に近い「ショッピングプラザ」で買い物した。ここは2階に衣料品が売られているので、まずは考えたように「長袖シャツ」を探す。フロアの中をぐるりと見てまわったけれども、どうもデザイン的に気に入るものもなく、やはりそういう「デザイン的」にいいのを探そうとするなら、「メンズファッション」の専門店とかに行かないとダメだな、などと思うわけで、けっきょく中途半端なデザインの中途半端な価格のものを買うより、あくまでもオーソドックスな、価格も安いシャツを買うことにした。
1階に下りると、そこでバーゲンで半袖Tシャツも安く売られていて、今げんざい「Tシャツもう一枚あってもいいな」と思っていたし、まだもうしばらくは半袖Tシャツも活躍してもらうだろう(それ以降もインナーにすればいい)と、1着買ってしまうのだった。
今日の買い物は、「ネコ用のかつおぶし」だとか「キッチンタオル」だとか「紅茶パック」とか、買うつもりだったものを忘れずにみんな買うことが出来た(いつもたいてい、帰宅してから「しまった!アレを買うのを忘れた!」とかなるのだけれども)。
ショッピングプラザからの帰り道、空き地に「ヒルガオ」の花が咲いているのを見つけた。ヒルガオなんてありふれた「雑草」だけれども、そんなに目にする機会もなくなって来ている気がする。そのうち、「もうヒルガオの花を見ることもなくなったな」ということになるかもしれない。
帰宅してテレビをつけると、なんと! 「国会中継」らしき中継が行われていた。これは国会の「閉会中審議」ということらしく、岸田総理が「安倍元首相の国葬」に関して、「国葬の妥当性」について説明するというものらしかった。
自民党は党として現在、党員と「旧:統一教会」との「関係」を独自に調べているらしいのだが、質問で「安倍元首相」と「旧:統一教会」との関係は調査するのか?と聞かれ、岸田総理は「安倍元首相も<故人
>であられることもあり、関係の追及には<限界>もある」と、つまりは「調査しません!」という答弁だった。
だいたい安倍元首相にはいわゆる「モリカケサクラ」とかの、まだしっかり究明されていない問題も「夢の島」を埋め尽くすぐらい残っているわけでもあるし、そもそもわたしなどは「自民党内統一教会支部」の支部長は安倍氏だったと思っているし、安倍氏の祖父の岸信夫氏の代から、この家系はびっしり「旧:統一教会」色に染まっているとしか思えないわけで、このあたりを「究明しません!」ということは、自民党として、「自民党」と「旧:統一教会」との癒着を自ら解明するつもりはまったくない、ということを言っているわけだと思う。
一方、自民党の北海道の議員が「国葬に反対する声」に対して、Twitterで「黙ってろ!」と発言したともいうが、その議員はその発言を謝罪も撤回もしないという。
これは先日の「日曜討論」で自民党の茂木幹事長が「共産党は左翼過激団体と関係している」と荒唐無稽な放言をし、謝罪も撤回もしていないことと同一の問題で、自民党がさらにファッショ化している証左ではないかと思える。
この日の「国会中継」でも、あくまで岸田首相をフォローしようとする議長の態度(岸田首相に「答えなくていいです」などという)も信じられない不愉快さだった。もういい加減、自民党の治世は終わらせるべきだろう(これで「維新の会」とか「参政党」が出て来てもアレだが、今の「立憲民主党」はあまりにだらしなさすぎると思う)。
今日はショッピングプラザの1階のスーパーで、「何かおいしいお弁当を買って帰ろう」と見て歩き、やっていた「駅弁フェア」のかなり高額なお弁当でも買いましょうか、などと思ったのだけれども、その三分の一ぐらいの値段の「鶏照焼きと鶏そぼろ弁当」というのを買って帰ったのだが、食べてみて、わたしには「これは美味だ!」という味だった。最近はずっと、買って帰って食べた「お弁当」がどれも「イマイチの味だなあ」と思わされていただけに、こういう価格の安い「お弁当」が美味だったのは、思いがけない「喜び」だった。