東宝は「ゴジラ映画」は前作で終わりにするつもりもあったようだが、競合を避けていたアメリカのローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』の製作が遅れていたため、「そんじゃ」と、急きょ製作されたのだという。
「ゴジラ映画の新機軸」を打ち出そうとしたのか、脚本は柏原寛司、監督は山下賢章という新顔があたることになった。柏原は「あぶない刑事」とかヤング向けの脚本を書いてきた人物で、山下も『ゴジラ』(1984)とかで監督助手の経験はあったとはいえ、近年はジャニーズ映画とかを撮っていた人物。むむむ、心配である(心配は的中したが)。
今回はゴジラの対戦相手として、『ゴジラvsビオランテ』のラストでビオランテが宇宙へと消え去ったとき、その「ゴジラ細胞」が宇宙で新しい生命を得た存在として、「スペースゴジラ」なるものがつくり出された。また、「対ゴジラ組織」の「Gフォース」は今回、「MOGERA」なる新兵器で相対するのだ。この「MOGERA」、かつて東宝特撮SF映画『地球防衛軍』(1957)に登場したロボット怪獣をグレードアップ(?)させたもの。
正直いって、「スペースゴジラ」はただゴジラ型怪獣が体から水晶状の突起を生えさせただけで、「ゴジラ細胞」から生まれたというには、完全にはるかに、まったく「ビオランテ」のデザインに及ばない。また「MOGERA」にしてもまた、その全体像もつかみにくいし、しっかり「メカゴジラ」には及ばないモノだろう。
また、背景となる「人間ドラマ」にしても、あまりにヤング向け青春路線というか、怪獣の登場するパートとの乖離もはなはだしい、まったくかみ合っていないと思った。
さらに、前回登場した「ベビーゴジラ」、これまた退化して「昭和ゴジラシリーズ」の「ミニラ」を彷彿とさせるキャラクターになってしまい、「やれやれ、結局こうなってしまったのか」という失望感は大きい。まあ「平成シリーズ」になってシリアス化が目立ち、若い観客が離れつつあったことへの対策ではあるのだろうけれども。
それにしても、「じゃあ特撮シーンではがんばってほしい」という思いも空しく、『ゴジラvsモスラ』での横浜みなとみらい、『ゴジラvsメカゴジラ』の幕張エリアでの双方の最終決戦の、広いエリアを駆使しての立体的なバトルに比べ、ただただ火薬使用料が多いだけの平板な演出ではあった。
そういった特撮面だけではなく、「MOGERA」のコックピット内のオペレーターの演出も、いっつもオペレーター3人を正面から撮影するばかりのフラットさで変化に乏しく、例えば『ゴジラvsビオランテ』でのコックピット内の演出とは大きな差があるだろう、とは感じた。
さすがに終盤の火薬破裂の「ドンパチ」の音と映像の連続には辟易もし、「わたしはなぜ、こ~んな映画を見ているのだろうか?」と、自分に問い返すのだった。
「ただゴジラ映画を見続けるのも、もういいかげんにしたいなあ」とも思うのだったが、次の『ゴジラvsデストロイア』は「ゴジラの最期」でもあるし、作品の評判もいいみたいだ。がんばって観賞しよう。