ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラvsビオランテ』(1989) 川北紘一:特技監督 大森一樹:脚本・監督

 前作で三原山火口に消えたゴジラは復活し、新しい敵と対決することになり、その前作がかなりのヒットになりもして続編企画が始まり、かつての敵怪獣との「対決シリーズ」が復活することになった。しかし東宝としては配給収入が目標にイマイチ届かなかったこと、そしてゴジラのコアなファンからの評価がよろしくなかったことなどを踏まえ、製作体制を一新させてのぞむことにあいなった。
 まずは特技監督川北紘一となり、総合監督は「ディレクターズ・カンパニー」の設立者でもあり、すでに一般映画で評価の高かった大森一樹を起用したのだった。これはビックリ!
 大森監督は1970年代のゴジラシリーズの品質低下は、プロデューサーの田中友幸の責任だと主張していた。そして原案は一般公募されることとなり、田中友幸はさいごに残った5本の候補作を大森に手渡した。大森はその中から歯科医である小林晋一郎のものを選択した。実は知られているように大森一樹は医学部を卒業した医師免許を持つ人物であり、そこで小林晋一郎の医学的知識を生かした原案に惹かれたのだろうか。

 小林晋一郎はこの「ビオランテ」のアイディアについて、「原子力から生まれたゴジラの恐怖に匹敵するものがあれば、それは人類が生命を操作するバイオテクノロジーに違いない。それは倫理的に誤った方向に進む危険性をはらんでいる」と語っているという。
 大森一樹はじっくり時間をかけてこのストーリーを修正し、自らの医学部卒業という経歴を生かして、「遺伝子工学」と「植物学」とを絡めたプロットを練り上げ、そこに各国が狙う「ゴジラ細胞」という要素を加えたのだった。

 出来上がったストーリーは、バイオ植物の研究をしている白神源壱郎博士(高橋幸治)が、ゴジラが襲撃した新宿に残された「ゴジラ細胞」と自分の亡くなった娘のDNAを組み込んだ薔薇とを融合させて「ビオランテ」なるモンスターを生み出す、マッド・サイエンティスト的なストーリーがあり、その「ゴジラ細胞」を盗み出して「砂漠でも育つ植物」をつくろうとしている某中東の国の諜報員が「スパイ映画」的展開を見せることにもなる。そして最新兵器を駆使するオペレーターとしての能力に長けて、自衛隊を指揮してゴジラに対峙する黒木(高嶋政伸)がこの作品のヒーローとして登場、さらにゴジラの動きを感知できる超能力を持つ「精神科学開発センター」の三枝未希(小高恵美)、生命工学研究所の職員であって、バイオテクノロジー技術には懐疑的ながらも、中東の諜報員に奪われた「ゴジラ細胞」を奪取しようともする桐島(三田村邦彦)の活躍と、けっこう様々なストーリーが絡み合った作品となっている。

 そのストーリーの絡み方、整理の仕方もけっこう見事な演出で、「さすがに大森一樹」という感想は浮かぶ。わたしにはこの時点では第一作『ゴジラ』(1954)に次ぐのはこの作品だろう、という感想ではあった。
 今回は特に、黒木の指揮による自衛隊ゴジラへの迎撃、攻撃が大きくフィーチャーされていて、考えてみたら今までのゴジラ映画、いろいろとゴジラを攻撃する兵器は登場していたけれども、「あれらの兵器はゴジラに対して何を仕掛けようとしているのか?」ということはけっきょく不明なまま、ただ登場して来てはゴジラを攻撃し、な~んのダメージも与えないのだ、という展開でしかなかっただろう。それがこの作品では明確な攻撃方針があり、ゴジラにかなりのダメージを与えるのだ。
 そういう意味でこの作品、ゴジラに対するのは「自衛隊」と「ビオランテ」とがあるわけだけれども、よりリアルな展開で作品の中心になるのは「自衛隊」の攻撃で、それを指揮する黒木の存在が大きくクロースアップされる(ちょっと観ていると「コンピューター・ゲーム」感覚にはなるが)。それに対しての「ビオランテ」の存在は、その第一形態が大きな薔薇の花でもあるし、ちょっとこの現実世界から乖離した「ファンタジー」の世界でもあったと思う(「ファンタジー」といっても「恐怖のファンタジー」だが)。その最終形態は、「怪獣」としても相当に秀逸なデザインの存在になるし、ラストには「光の粒子」となって天へと消えて行くのである。

 作品は批評家と一部観客には好評を得るものとなり、アメリカでも、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』に先んじた遺伝子工学とバイオテクノロジーへの批判的なアプローチが評価されている。
 しかし国内では「観客を選ぶ」映画となり、興行収入は前作を下回り、この結果を受けた東宝は、ゴジラの相手はもう「新怪獣」はやめて「人気怪獣」を再登場させ、内容もエンターテイメント性を重視して、「ファミリー層」をターゲットとした娯楽路線を選ぶことになったのだった。まあそれが「平成ゴジラシリーズ」の限界だった、とは言えると思うが、またこの「ビオランテ」のような設定の「ゴジラ映画」を観てみたいものだ、とは思うのだった。