ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラ』(1984) 中野昭慶:特技監督 橋本幸治:監督

 この作品が公開された1984年はまだ「昭和」だけれども、次の『ゴジラvsビオランテ』からは「平成」になるので、この「第2期ゴジラシリーズ」は「平成ゴジラシリーズ」と呼ばれる。ここから原点回帰してゴジラは「人類の敵」となり、もう観客に愛嬌を振り撒くことはない。
 「ゴジラ映画復活」の動きは早くからあったらしいけれども、ゴジラ映画のリヴァイヴァル上映も不入りだったりして、「時期尚早」と見送られていた。それが『スターウォーズ』のヒットなどでSF特撮映画の人気も高まり、1983年の夏に開催された「ゴジラ復活祭1983」が盛り上がったことで、ついに「ゴジラ再製作」となったのだった。
 プロデューサーの田中友幸自ら「原案」も提出し、彼が自身の手がけた怪獣映画の総決算としたいという熱意があったらしい。

 「原点回帰」ではあるが、「核実験の落とし子」としてのゴジラ像はそこまで前面には出さず(冒頭は「第五福竜丸」を思わせるものであり、ゴジラはさいしょの上陸で「原子力発電所」を襲うけれども)、あくまで「巨大で凶暴な生物」という視点から、「じっさいにそのような生物が日本に来たらどうするか」というリアリティを重視し、「米ソの対立のはざまの日本」というところからの外交も描かれ、のちの『シン・ゴジラ』の先駆となったかと思える。
 そして、監督は橋本幸治という人物があたることになった。

 さて、それで映画を観始めたのだけれども、しばらく観て「むむむ、何だ、この演出は?」と思うことになった。
 映画の緊迫感、サスペンスを増すためには、演出において押したり引いたりとか、強弱緩急のリズムが必要だと思うのだが、この作品にそれはなく、まったくフラットなのであった。
 わたしはこの監督のことを知らなかったし、「この人、まるっきしシロウトなのでは?」と調べてみたら、この橋本幸治という人、同じ1984年春に公開された『さよならジュピター』で監督デビューしたばかりの人で、しかもこのあと一本も監督作はないのだった。『さよならジュピター』という作品も、「知る人ぞ知る」伝説の愚作という評価のようだが、この『ゴジラ』をこの監督でクランクインしたときには、そ~んな評判もまだなかったのだろう。

 このあいだ観た『ゴジラ対ヘドラ』もシロウトが撮ったようなドイヒーな演出の映画だったけれども、それに匹敵する情けなさではないか。どうして東宝はこういうことを繰り返すのだろうか。
 総合監督の本領発揮のはずの「人間ドラマ」もまったく見るものの感覚を引っ張らないし、特撮班の撮った特撮部の映像のはめ込み方も、場面ごとの「高揚感」へと高まる演出ではない。ソ連の核弾頭をアメリカの迎撃で止める場面、ゴジラの新宿襲撃、「カドニウム弾」でいちどはゴジラを倒す場面、ラストの三原山火口へ落下して行くゴジラと、盛り上げるポイントは数多くあったはずだけれども、どのシーンも。「フラット」に、「そういうこともあったのだ」みたいな描き方ではあった(それは特撮監督の領域なのかもしれないが)。
 この監督に以後「監督」の声がかからなかったのも、当然のことに思える。しかし、プロデューサーの田中友幸氏はどうしてこのような新人監督起用で失敗を繰り返すのだろうか。彼自身、「自分の手がけた怪獣映画の総決算としたい」という気もちだったというのに。おそらくは「新しいシリアスなゴジラ映画の展開」を求めて、キャリアのない監督に賭けてみて、自分の手で育てようという気もちもあったのだろう。でも、先に『さよならジュピター』のメガホンを取らせたとき、「こらあかん」とは思わなかったのか。もうそのときはこの『ゴジラ』製作に突入していて、もうどうしようもなかったのか。「一発勝負」に賭けたのか(まあ今の時点からはわたしも好きなことを言えるわけだが)。

 むむう、「シリアス路線のゴジラシリーズの開始」ということで、楽しみにはしていたというのに、いきなりのカウンター・パンチである。これなら前作『メカゴジラの逆襲』の方がいかほど楽しかったことか。ただわたしは悲しい(ま、次の『ゴジラvsビオランテ』はかなりの佳作であることはわかっているから、くじけずに前に進もう)。