ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラvsメカゴジラ』(1993) 川北紘一:特技監督 大河原孝夫:監督

 前作『ゴジラvsモスラ』は1993年の邦画で最大の観客動員となり、歴代ゴジラ映画トップのヒット作となった。本来はこの作品をシリーズ最終作にするという考えもあったらしいが、この際もっとつづけるのだ。
 前作のヒットを受けて監督は大河原孝夫が続投したが、脚本は『ヤマトタケル』の脚本執筆中の三村渉が担当した。
 ストーリーは前に描かれたゴジラの前身「ゴジラザウルス」を再び描き、同時に「ラドン」と呼ばれることになる「プテラノドン」、そして「ベビーゴジラ」を誕生させることになった。大河原監督は「ベビーゴジラ」の登場には反対したが、脚本の三村は女性観客を狙ったとした。しかし結果として、「怪獣とて一匹の生命体なのである」という意識を、観客に訴えたのではないかと思う。
 音楽は体調不良をおして伊福部昭が担当したが、わたしはこの作品での伊福部昭の音楽が、彼のゴジラシリーズでのベストではなかったかと思う。伊福部昭には意外な、思いがけないような音楽を含め、彼の音楽をたっぷり堪能できる作品だったと思う。

 ストーリーで面白いのは、序盤こそゴジララドンとは戦うわけだけれども、実はベビーゴジラの卵を抱卵していたらしいラドンは、ベビーゴジラを守るための行動も見せて、そこでゴジラの父性愛と結びついてしまうのである。
 そしてゴジラに立ち向かうためには今回から「対ゴジラ対策組織」のGフォースというのが設立されていて、その対ゴジラ兵器として「ガルーダ」、そして最新兵器の「メカゴジラ」とがゴジラに立ち向かうのである。「メカゴジラ」は『ゴジラvsキングギドラ』のラストで海中深く沈んでいた「メカ・キングギドラ」を引き揚げ、23世紀の人類の技術を徹底して研究して建造されたものなのである。
 こういう、「ゴジラの敵は人類の兵器」だというのは、『ゴジラvsビオランテ』での「スーパーX2」の延長、という側面もあるだろう。実はこのメカゴジラの操縦は、その頭部に複数の操縦者が乗り込んで行うのであって、このあたりの展開、撮影などは今見るとどうしたって、ギレルモ・デル・トロ監督の『パシフィック・リム』のイェーガーを思い出すしかない。

 いちおうストーリー上、「主役」というかいちばんフィーチャーされるのは、そのGフォース隊員の青木一馬(髙嶋政宏)なのだが(「スーパーX2」の操縦士でもある)、この人物の規律を完全に無視した行動はあきれるし、「Gフォース」その他の要所のセキュリティ・システムはいったいどうなっているのかと、ゴジラに立ち向かう以前の問題ではないかと思ってしまうのだった。彼は単に「脳みそ筋肉人間」のようだが、それをフォローするのは国立生命科学研究所の五条梓(佐野量子)と、今回は国連G対策センターに所属している超能力者の三枝未希(小高恵美)で、この2人がベビーゴジラのフォローをするのである。特に五条はベビーゴジラの飼育係、母親代わりでもあり、この映画で「母性」の象徴でもあるだろう。
 「Gフォース」はメカゴジラゴジラを倒すために、ベビーゴジラを「おとり」として幕張にゴジラを誘い出そうとするのだが、いちどはゴジラに倒されたラドンが「生命エネルギー」を得て復活、パワーアップして「ファイヤーラドン」としてベビーゴジラを救出に来るのだ。
 かんたんに言うとファイヤーラドンメカゴジラに倒されるわけで、そこにゴジラも現れてメカゴジラと戦う。メカゴジラはガルーダと合体して「スーパーメカゴジラ」となってゴジラを攻撃。やられたゴジラはひん死状態になるが、さいごの力を振り絞ったファイヤーラドンゴジラにかぶさり、ゴジラはファイヤーラドンの力を得て復活。ゴジラはスーパーメカゴジラをも倒して海に去ろうとするのだが、五条と三枝は残されたベビーゴジラに、「あなたはゴジラについて行きなさい」とするのだった。

 ‥‥いやあ、わたしも涙もろいもので、ラストにはちょびっと泣いてしまいましたよ(動物モノに弱いのです)。怪獣映画で涙を流すなんて、なんということだ。ラドンのさいごにも泣けたし。

 音楽は素晴らしかったし、人間ドラマの方でもっとシリアスな展開を通し、五条と三枝との「ベビーゴジラ」、「ゴジラ」との感情移入をもっと前面に打ち出していれば(三枝はすでにかなり、ゴジラへのシンパシーは持っているようだ)、わたしは「こりゃあいいや」ということになっていただろうに、残念ではあった。

 そう、つい先日亡くなられた中尾彬氏が、「Gフォース司令官」の役で出演されていた。このあとの「平成ゴジラシリーズ」には、すべて出演されているようだ。追悼。