ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『燃える惑星 大宇宙基地』(1962) ミハイル・カリョーフ、アレクサンドル・コジール、フランシス・フォード・コッポラ(追加シーン 米国版):監督

燃える惑星 大宇宙基地 [DVD]

燃える惑星 大宇宙基地 [DVD]

  • イヴァン・ペレウェルゼフ
Amazon

 オリジナルはソ連の「モス・フィルム」製の「Nebo Zovyot(天は呼ぶ)」(1959)というSF映画で、これはソヴィエトとアメリカとが火星探査をめぐって競い合い、設備で劣るアメリカの宇宙船が途中で遭難するのだが、火星の惑星に向かっていたソヴィエトの宇宙船が自分たちの計画をあきらめて、アメリカの宇宙船乗組員を救出するという、「科学的にも人間的にもオレたちソヴィエトの方がアメリカよりずっと優れているのだぜ!」という反米プロパガンダ映画なのだ。

 それをなぜかアメリカの「B級映画の帝王」ロジャー・コーマン(この方はつい先日亡くなられた)が買い付け、まだカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の学生だったフランシス・フォード・コッポラを雇って「アメリカ化」させて公開したのだった。
 コッポラはまず「ソ連」と「アメリカ」の国名の一切出てこないシナリオを用意する。
 ストーリーを近未来を舞台とし、長い核戦争のために地球は「北半球」と「南半球」との2つの大きな勢力とが競い合うようななっていて、今は「北」も「南」も火星を目指した宇宙開発で競い合っているという設定にした。つまり「東西対立」を「南北」に置き換え、主人公らの国は「南」側ということにされた。そういう設定でソ連版の展開はけっこう活かされるが、登場するロケットに大きく描かれたキリル文字を消すのが「大きな作業」になった。そもそもが「ソ連映画」だということをごまかすためか、クレジット上でスタッフ、キャストの名前はみ~んなアメリカ系の名前に変更されてしまっている(って、映画を見れば登場人物はみ~んなスラブ系の顔をしてるのだが)。
 おそらくそんなストーリー改編で映画が短くなってしまったせいか、「集客用の山場」をみせるためか、なぜか意味もなく火星の惑星に2匹の「宇宙怪獣」が姿を見せるのだ。
 そんな細工をしても、このアメリカ版はソ連版オリジナルより14分も短くなってしまっているが。

 ソヴィエトにしても、この映画がつくられた1959年はまだガガーリンが宇宙飛行を行った1961年の前であって、「宇宙旅行を描くSF映画」として正確な描写になっているわけではなく、「宇宙ステーション」なんかは宇宙に航空母艦の滑走路が浮かんでいるような姿で、その宇宙空間にむき出しの「滑走路」の上を人々が(いちおう宇宙服は着ているけれども)平気で直立して歩いたりしているのだ。
 そういう時代的な欠陥はあるにしても、このソヴィエト版オリジナルはけっこう見事な完成度に見え、特に火星の惑星に降り立った人々が、地平から大きな赤い火星が上昇してくるのを見るシーンなど、とっても美しいものだ。
 その他宇宙ロケットや宇宙船のデザインも美しく、「あれ? こういうデザインの宇宙ステーションは『2001年宇宙の旅』にも出てきたよな?」とか思わされたりする。

 クレジットに「音楽」担当にカーマイン・コッポラの名前があり、このときからコッポラは自分のお父さんに音楽を依頼していたわけだ。
 さて、それで2匹の宇宙怪獣は何の必要があって登場して来たのかまったく不明だけれども、まあのちの日本、東宝の特撮SF映画にも「宇宙怪獣」というものはけっこう「お約束」だったわけだから、これは当初、人間が「宇宙」に抱いた神秘感というか、「宇宙」=「人智の及ばぬ謎の世界」という意識の反映なのか、とは思う。
 ただここでコッポラは悪ふざけし過ぎているというか、その宇宙怪獣の一匹の「口」は、どうみても「Vagina Dentata」(日本語で書く勇気がない)なのであった。う~ん、コッポラの「悪ふざけ」というか、それはコッポラの「強迫観念」だったのかもしれないが。
 とにかくは、何とも面白い映画を観たものだ、という思いだ。