ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゼロ・グラビティ』(2013) エマニュエル・ルベツキ:撮影 アルフォンソ・キュアロン:監督

 気分的には先日観た「ハッブル宇宙望遠鏡」のドキュメンタリーのつづきで、この映画はそのハッブル宇宙望遠鏡のメンテナンス、グレードアップのために宇宙に派遣されたクルーが予期せぬ事故に遭い(ハッブル宇宙望遠鏡は壊れちゃったね~)、クルー初参加の女性博士ひとりがギリギリの状況から逃れて生還するという、思いっきりストレートなサヴァイヴァル映画。

 それまで宇宙空間の経験のない博士(サンドラ・ブロック)がただひとり宇宙の真っただ中で生き残り、先に宇宙の闇に消えていった指揮官的宇宙飛行士(ジョージ・クルーニー)のアドヴァイスにしたがって、ついに地上の重力(グラビティ)のある世界に帰還するまでの話も「ひねり、工夫」があって楽しめるのだけれども、やはりこの映画のすばらしさはその「映像」の、撮影技術の魅力にあるだろう。
 そういうところではこの作品、撮影監督のエマニュエル・ルベツキと、監督であり編集にも携わったアルフォンス・キュアロンとの見事な共同作業の成果といえるか。

 何といってもまずは、冒頭からの20分ほどの「ワンシーン・ワンカット」の切れ目ない撮影への驚きがある(途中、宇宙の真っ暗な空間を写すシーンがあり、そこでカットを入れてるといえるだろうけれども、それでも十数分のノーカットのシーンはあった)。
 これは単に「ノーカット」というのではなく、ハッブル宇宙望遠鏡のまわりを「宇宙遊泳」として自在に動く宇宙飛行士をとらえるカメラの動きにも驚嘆するわけで、前後左右、上下と回転するように動き回るカメラは写された宇宙飛行士らと共に「宇宙遊泳」をやっている、という印象。
 しかもある場面ではカメラはだんだんに被写体のサンドラ・ブロックに近づいていき、それがついには彼女のヘルメットの中に入っていき、彼女の視界に同化してしまうシーンは「どうなってるの?」という感じでもあり、これは先日読んだナボコフの『賜物』の中で、ナボコフの描写が自在に三人称描写から一人称描写へと移行していた部分を思い出してしまった。

 わたしとしては、その冒頭の長回しだけでも「おなかいっぱい」なのだけれども、それにプラスして主人公の「宇宙での孤独」を描き、そんな中からも「生還への強い意志」を導き出していく展開、サンドラ・ブロックの演技もあってこころ動かされるものがあった。
 さいしょに彼女が退避した「ソユーズ号」の中で、彼女の顔をとらえたショットで彼女の手前に丸い水玉が浮遊してきて、「コレって何だろう?」って見てたら、つまりは彼女の涙だった。これもグッとくるシーンだった。

 彼女が宇宙船の中で宇宙服を脱ぎ、無重力状態で身体を丸める場面、その身体からコードも伸びていてどう見ても「胎児」へのアナロジーだったけれども、ドラマ展開の中であそこで「胎児」になるというのは、わたしには今ひとつわからなかった。
 それでも、彼女が無事地球に帰還して、水中に沈んだカプセルから脱出して水上に浮かび上がり、岸辺で四つん這いから起き上がって二本足ですっくと立ち上がる「進化」のシーンはよくわかった(「生命体」としての「カエル」の登場もグッド!)。

 原題は「Gravity」だけど邦題は「ゼロ」をつけた。原題のワンワードの力強さもわかるし、日本で「ゼロ・グラビティ」とした気もちもわかる。