ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ゴジラvsモスラ』(1992) 川北紘一:特技監督 大森一樹:脚本 大河原孝夫:監督

 本当は大森一樹監督は次回作としてモスラを登場させることを考えていて、ゴジラ抜きの脚本を準備していたそうだが、『ゴジラvsビオランテ』の評判から次作は『ゴジラvsキングギドラ』となり、以降もゴジラのフィーチャーがつづけられることとなった。以後ゴジラの対戦相手には紆余曲折があったが、けっきょく大森一樹が『ゴジラvsモスラ』の脚本を書くこととなった。
 東宝では前作の観客アンケートから、女性客を獲得すれば観客動員の増加が見込めると踏んだ。監督は「こんどは東宝の監督で」ということで、前作『超少女REIKO』が高評価を得た大河原孝夫と決まったが、まだキャリアの浅い監督で、わたしなどは「また新人監督でドイヒーな映画になるのか」と思ったが、その轍を踏むことはなかったようだ(「素晴らしい作品だった」、というわけではないが)。
 大森一樹は前作『ゴジラvsキングギドラ』でハリウッド映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を意識した脚本を書いたが、今作ではまた、ハリウッド映画の『インディ・ジョーンズ』を意識したプロローグを用意したのだった。

 小笠原沖に巨大隕石が落下することから物語が始まり、これによってメカ・キングギドラとの戦いで海中で眠っていたゴジラが目覚めてしまう。その他隕石の影響は広範囲に及び、北極海からバトラという巨大な蛾のような怪獣が現れて日本に来襲、名古屋を襲うのであった。
 一方、タイの奥地で遺跡を盗掘していてタイ警察に逮捕されていた藤戸(別所哲也)は、国家環境計画局なる部署からの依頼で、南洋インファント島の調査に加わることを条件に釈放される。調査団は藤戸の元妻で(2人のあいだには娘もいる)、環境情報センター職員の手塚(小林聡美)、島の開発を行っている観光会社の社員の安東(村田雄浩)の3人。何といういい加減な人選たることよ。依頼部署の国家環境計画局の職員はいないし、1人は「盗掘」で逮捕されていた男、1人は民間会社の社員で、そのうち2人は元夫婦。マトモじゃない。
 インファント島で3人は巨大な卵を発見し、安東は利権のためその卵を日本に持ち帰ろうとする。さらに3人は「コスモス」と名乗る2人の「小美人」と出会い、インファント島の過去の歴史、モスラとバトラという存在とその宿敵関係、今あらわれようとしているバトラの脅威の話を聞くのだ。
 輸送船で日本へ運ばれるモスラの卵に同行するコスモスの2人。しかし曳航中にゴジラがあらわれるし、さらにバトラもやって来る。そんな中、卵からモスラも孵化するのだ。大騒ぎ。3頭の怪獣は海中へと消えるが、安東は「ではコスモスの2人を会社のイメージキャラクターにしよう」と画策し、藤戸の同意もあってコスモスを日本へ。しかし、モスラはコスモスを追ってくるのだった。このあたりの欲にからんだ観光会社はかつての『モスラ対ゴジラ』(1964)とまるで同じである。一企業のおバカな判断で、日本はまたモスラによって莫大な被害を受けるのだ。その責任を問わなくっていいものなのか?
 モスラは東京を襲撃し、国会議事堂を使って「繭」をつくる。そんなとき、地中マグマをかいくぐったゴジラが富士山麓に登場するのだ。成虫と孵化したモスラ、そしてゴジラ、さらにバトラの3頭は、横浜のみなとみらい地区で激突するのであった。

 だいたい「放射熱線」という強力な武器を持つゴジラに対して、モスラもバトラもハンディがあるのではないかと思ったのだが、ここではモスラもバトラも、ゴジラに対抗する放射光線という武器を持っているのだった。なんかもう、東宝の怪獣激突映画はいつしか武器の「光線」のぶっつけ合いみたいになってしまって、しかも互いにそんな「光線」をくらってもそこまでもダメージを負うわけでもなく、ただの「装飾」みたいになってしまった。かつてのモスラの「繭糸攻撃」はかなり斬新だったものだが。
 ここで、モスラとバトラとは宿命のライヴァルだったはずだが、ゴジラにやられて劣勢になったモスラをバトラが助け、そこで「はオレたちの共通の敵はゴジラだぜ!」みたいに意気投合。以後協力し合ってゴジラに立ち向かうのではあった。2頭は昆虫だけれども、意外と知性は高いみたいだ。

 バトラはそもそも、自然環境を破壊した人類への怒りから人類を攻撃していたようだけれども、モスラは地球全体のためにも、そんな「間違った道を進む人類」への警鐘という意味合いがあり、言ってみれば「人類との融和路線」を目指していたともいえるようだ。さいごのモスラとバトラとの共闘は、「今の地球の最大の危機はゴジラの存在だ」と考えが一致したのだろう。
 この、モスラとバトラとの一種「和解」は、人間ドラマ側の離婚していた2人の和解へと通じるものではあったのだろうか。

 ラストの「みなとみらい」の広大なセットを使っての、さまざまなシンボルを破壊しながらの3者の長い闘いは、今までの「ゴジラ・シリーズ」でも特筆してもいい壮大さで、CGではない「実写」としてここまで撮り上げたのは、賞賛されていいのではないかと思った(ただ、終盤は「花火大会」だという批判?もあったようだけれども)。