ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『瞳をとじて』(2023) ヴィクトル・エリセ:監督

  

 二回目の鑑賞。わたしは前回、自分自身の記憶障害とこの作品とをあまりに関連付けて観ようとしてしまい、いささか道に迷ってしまったのだったが、今回はさいしょのときのそのような先入観を捨て、もっとストレートに観ることにしたのだった。
 ただ、いちど観ていたので大きな作品の流れは理解していたので、この二回目の鑑賞の大きな助けになった。

 それで今回もまた、冒頭の「映画内映画」である『別れのまなざし』のストーリーが、この『瞳をとじて』という作品のストーリーを内包した「入れ子構造」作品だ、ということを頭から払いのけることが出来なかった。
 映画の冒頭で映される『別れのまなざし』の前半では、「悲しみの王」という屋敷に住むミスター・レヴィという富豪がフランクという男を呼び寄せ、ミスター・レヴィと生き別れになっているジュディスという娘を探しに上海へ行き、彼女を連れ戻してほしいと依頼して、ジュディスの写真をフランクに渡すというところまでだった。このフランクを演じているのが、このとき不意に失踪して行方不明になる、フリオという俳優である。
 そしてこの『瞳をとじて』のさいごに、映画館でその『別れのまなざし』の撮られていた残りの部分が上映され、そこではフランクがそのときはチャオ・シューと名乗っているジュディスを伴って「悲しみの王」に戻って来、チャオ・シューはミスター・レヴィの前で「上海ジェスチャー」という扇を持ってのポーズをしてみせる。ミスター・レヴィはチャオ・シューの目のメイクを布で拭き取ってやるが、そこで倒れてそのまま息絶える。チャオ・シューと並んだ、カメラ目線で動かないフランクの顔が映るというもの。

 このストーリー構造が、『瞳をとじて』全体の中に、形を変えて活かされていると思える。
 まず、根本のところで、その『別れのまなざし』を監督していた映画監督のミゲルが、行方不明になったフリオを探すという全体のストーリーにかぶっている。
 そしてフリオにはアナという娘がいるのだが、(フリオがアナを探すわけではないが)フリオがアナと再会するということ自体は『別れのまなざし』であろう。ここで『別れのまなざし』では娘のジュディスがチャオ・シューと名前を変えていたのだが、『別れのまなざし』の外世界では、フリオの方が名前を変えているというか名前を失っていて、ガルデルと呼ばれてはいる。
 また、フリオ自身は失踪後は記憶を失っているのだが、それでも「海のある国はすべて行った」とか、『別れのまなざし』の中の自分の役、フランクを引き継ぐようなことも語っている。記憶をなくしながらも、フリオの中では自分は「フランク」なのかもしれないわけで、「映画の中の記憶は映画の外にも生きている」という、この映画のひとつの主題に通じるところを感じる。それはフリオの娘のアナがこの作品をとび出して、同じヴィクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』の記憶をなぞるところにも鮮明だろう(他にも『リオ・ブラボー』という作品からの引用もあったらしいが、わたしは『リオ・ブラボー』という映画の記憶がないので、この件はわからない)。

 そうすると、この作品のラストで、映画館の座席に座って『別れのまなざし』の中の自分自身を観るフリオが、その目を閉じることで終わる意味のことを考えなくてはならない(『瞳をとじて』というタイトルも、そのラストの目を閉じるフリオから来ているのだろう)。フリオは、明らかに今目の前で上映された『別れのまなざし』から、確かな何かを受け止めたのだ。

 作品の中で、記憶を失ったフリオを診察した脳神経科医師が、「(記憶がなくっても)人は考えを抱き、ものを感じることが出来る」と語るシーンがあったけれども、わたしもその言葉に感じ入ったし、自分のことを語るけれども、わたし自身この作品をさいしょに観るしばらく前、わたしのすぐ前を走って行く小学生の、そのランドセルが夕陽の逆光を浴びてキラキラと輝いているのを見て、「自分が記憶を失くしたとはいえ、こういうのを<美しい>と感じることができればいいではないか」などとも思っていたわけだった。そのことにも通じるようで、わたしにはうれしかったのだった。

 やはり作品の中で、ミゲルがフリオに船乗りのロープの結わえ方をやって見せたら、フリオもすぐにその結わえ方ができて、ミゲルは「船乗りだったからさ」というシーンもあった。これは「記憶を失っても残っているもの」ということではあって、この作品のひとつの主張なのだろう。
 そういう意味では、記憶がなくなってしまっても「言葉を話す能力」を失う記憶喪失者はいない。そこに「恩恵」があるのだろうか、とか思う。

 けっきょくこうやって二回目にこの作品を観ても、また「記憶」の問題に戻ってしまったな。
 でもわたしはなぜか、さいしょに観たときに犬のカリが出て来たシーンを、み~んな忘れてしまっていた。これもまだどこか、脳神経に欠陥があるせいかもしれないな。