ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ビザンチウム』(2012) ニール・ジョーダン:監督

 ニール・ジョーダン監督は、過去に『狼の血族』や『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』というヴァンパイア映画を撮っているし、ファンタジーっぽいホラー映画というのも得意とするところ。それが久しぶりに、ファンタジー色の強いヴァンパイア映画を撮っていたのだった。

 この作品、母娘の愛憎の物語というか、女性が主役であるということでも独特の、いわば「少女マンガ」っぽい世界を展開していると思うのだけれども、語り口は「過去」と「現在」が入り組んでいて、決してとっつきやすいものではないと思う(わたしもけっきょく、しっかり理解するのに2回観てしまった)。
 しかし、このストーリーテリングの切り貼りの仕方には絶妙なものがあって、もしもこれを時系列順に描いてもここまでの興奮は生み出されなかっただろうとは思うし、その引っ張り方こそが絶妙ではあったと思う。

 世界には「吸血鬼同胞団」とも言える極秘のグループがあり、選ばれた「死の覚悟のあるもの」に「ヴァンパイアとなる秘蹟の島」への地図が与えられ、その島を訪れて秘蹟を体験したものは「不老不死」のヴァンパイアと転身するのだ(以下に書くあらすじは、映画で描かれた順番とはまるで異なる、出来るだけ時系列に沿って書き直しちゃいました)。
 200年前、結核を患って死期も迫っていたクララ(ジェマ・アータートン)は、自分の愛人のルヴェンがその島への地図を受け取るところを目にし、ルヴェンからその地図を奪って「秘蹟の島」へ行き、ヴァンパイアとなる。「吸血鬼同胞団」は男性のみの団体で、クララはダーヴェル(サム・ライリー)ら同胞団メンバーらに連行されるのだが、そのとき売春婦であった彼女の生き方は「強きをくじき弱きを助ける」もので「合格」だろうと、同盟最下層で生きることを承認する。
 その前にクララはルヴェンの子を妊娠していたのだが、「ヴァンパイアは産まれた子を殺さねばならない」という掟を破り、子どもを孤児院に預けるのであった。
 その子ども、エレノア(シアーシャ・ローナン)が16歳になったとき、復讐に燃えるルヴェン(このとき梅毒に感染していた)がエレノアを襲い強姦してしまう。そこに来たクララがルヴェンをぶっ殺し、エレノアを「秘蹟の島」へ連れて行き、エレノアもヴァンパイアになってしまうのだった。
 それから200年、クララは各地で性風俗産業に従事し、エレノアは「自分の物語」を人に伝えたいという欲求に囚われていて、ノートに「自分の物語」を書きつづけている(「同胞」の掟で、ヴァンパイアとしての「自分のこと」を他者に語ることは禁じられている)。
 そんなとき、「同胞団」のメンバーが、いささか同胞の規律を破っているクララを「粛清」するためにクララらの住む町にやって来る。クララはそんな「同胞団」メンバーの一人の首を切断して倒し、エレノアと共に次の町へと移って行く。
 その町でクララは「ビザンチウム」という古いホテルを「娼婦館」にし立てて活動を続け、エレノアは「白血病」を患う青年フランク(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と知り合う。
 エレノアはフランクの通う「私塾」のようなところにいっしょに通うようになり、その塾での課題で「わたしの物語」というのを書き、まずはフランクに読んでもらう。物語を信じられないフランクは塾長にもその物語を読んでもらうことになる。
 一方、クララを捜索するダーヴェルとサベラという「同胞団」の二人も町にやって来るのだが。

 とにかくは場面転換の多い映画で、ついて行くのが大変だった。そんな中で、エレノア(シアーシャ・ローナン)が語る「自分の物語」というものが縦軸として作品全体をけん引していて、そのことがこの映画を「面白さ」へと導く大きな要因だったのではないかと思う。

 「ヴァンパイア映画」としてみても、実はヴァンパイアの世界での「マチズモ」というか「ミソジニー」をも批判的にこのストーリーはつくられていて、まさに21世紀的な「ジェンダーフリー」なヴァンパイア映画になっているのだ。
 「美男美女」が並んで出ているというのも、まさに「少女マンガ」的な魅力ではあったのだけれども、シアーシャ・ローナンはもちろん、登場するたびに顔が違うよね、というジェマ・アータートン(この人はボンド・ガールでもあられたらしい)、そしてヴァンパイアにまだなっていないというのに、登場したときからヴァンパイアっぽいケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、「この人、なんかレオナルド・ディカプリオに似てる」とか思ってしまったサム・ライリーとか、み~んな記憶に残る俳優さんたちだった。