ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-02-16(Fri)

 最近のニェネントくんは、もう2~3年前に買ってあったペット用のクッションの上でまどろんでいることが多い(ホットカーペットの上よりこっちの方がいいようだ)。
 しばらく前までこのクッションは和室の隅に置いてあったのだけれども、ニェネントくんはしっかりそのクッションを無視し、反応しなくなってしまっていた。それが先日、「どうだろう」とそのクッションをリヴィングに置いてみたら、すぐに「お気に入り」になってしまったのだった。
 今も、机のパソコンに向かっているわたしの後ろに置いてあるクッションには、ニェネントくんが丸くなっている。

     

 今日は昨日ほどに気温は上がっていないということだけれども、室内にいるわたしの感覚としては、昨日よりも今日の方が暖かい気がする。昨日の高い気温で温められた地面が、今日になって放熱しているせいではないかな、などとは思うのだけれども。
 それで今日は朝から風がめっちゃ強かったらしく、実はウチの東のJRの駅から東側は、しばらく普通になってしまったらしい。「風」で電車が停まってしまうなんていうことは珍しい(台風でもなかなか電車は停まらないというのに)。

 金曜日はたいてい、「ブギウギ」で舞台パフォーマンスのある日。この日は、黒澤明監督の『酔いどれ天使』の中にちょびっと出演した笠置シヅ子が歌った「ジャングル・ブギー」のステージを楽しませてもらった。あとはもう、わたしが知っている笠置シヅ子の曲は「買い物ブギ」ぐらいだなあ。
 ニュースで、ロシアの反体制・反プーチンの指導者のナワルヌイ氏が急死されたという報。ナワルヌイ氏は以前にも暗殺されかけたことがあったはずだし、今回もどういうことなのか、誰もがわかることだろう。元KBGのプーチン、やることがえげつない。この件は国際的に問題になることだろう。

 午後から「何か映画を観ようか」と、ギレルモ・デル・トロ監督の『ナイトメア・アリー』をちょっと観始めたのだけれども、「ギレルモ・デル・トロ監督の作品ならいちど観ているのではないだろうか」といちど観るのを中断して、この日記を検索してみたら、なんと2年前の3月に映画館で観ていたのだった。
 さっき観ていたところまででこれっぽっちも記憶してもいなくって、まさに2年前10月の発作が原因で、その発作以前の記憶が失われてしまっているのだった。
 「発作が起きると新しい記憶から消えてしまいますよ」と医師に言われていた通り、ほんとうにこれっぽっちも記憶していないことに愕然とする。「むなしい」というか「やりきれない」というか、この「絶望感」は強烈だ。
 以前、「いいじゃないですか、同じ映画をまた新鮮な気もちで観れるのだから」とわたしに語った人がいたけれども、おそらくはわたしを慰めるつもりでそんなことを語られたのだろうけれども、わたしの中では「そんなことをいうヤツは許せない」という気もちで、今でも、そのことを語った方のことはいい感じを持って思い出すことが出来ない。

 もう映画を観るのもやめて、すっごくダウナーな気分に落ち込んでしまっていたのだけれども、「こういうときは外に出かけてみよう」と、珍しく午後の3時ごろに買い物に外に出た。
 ちょうど小学校の授業が終わって皆の帰宅時間だったようで、わたしのそばに黄色いランドセルをしょった2人の女の子がいて、その2人がわたしを追い抜いて、西の太陽の方に走って行く。逆光を浴びてわたしの前でランドセルがぴかぴか光っている。「美しい」と思った。
 そんな光景を見て、「わたしはこういう瞬間瞬間の光景をみて、それを<美しい>と感じて生きて行けばいいんだろう」などと思った。
 スーパーでは気分転換に、ウィスキーなど買ってしまった。飲みすぎたりしないように!

 パトリシア・ハイスミスの『プードルの身代金』を読み終えて「次は何を読もうかな」と思って、やはりまたハイスミスを読もうということにしたのだけれども、何がいいか迷うのだった。それでハイスミスの「トム・リプリー・シリーズ」を読み直そうかと、まずは『太陽がいっぱい』を選び、昨日から読み始めた。
 しかし、やはり新しい読書のしょっぱなはページが進まない。昨日も今日も、10ページぐらいしか読めない。これがその本の世界に没入できるようになれば、一気に百ページぐらい軽く読めるようになるのだけれども。