ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-02-03(Sat)

 夜のニェネントくんは、わたしのふとんの上に乗っかるよりもいい場所を見つけてしまった。それはベッドのわたしの足元の近くに置いてある段ボール箱で、その中には古い寝具が敷いてあるのだ。
 「段ボール箱」という、ネコ類がどうしても惹かれてしまうアイテムで、その中は柔らかクッションになっている。それに、「出来るだけわたしの近くにいたい」というニェネントくんの欲求を叶えてくれる場所でもある。ニェネントくんは「今までどうしてこの場所に気づかなかったのだろう」と思ったことだろう。
 そういうわけでこの夜、ニェネントくんはわたしのふとんの上に乗ってくることはないのだった。寂しい。

 わたしが起き出してしばらくは、ニェネントくんもリヴィングのわたしのそばにいたのだけれども、そのあとは和室へと行ってしまった。わたしはいつものように、ベッドのふとんの中にもぐり込みに行ったのだと思っていたが。
 その段ボール箱を片付けてしまおうかと思って和室に行ってみると、ニェネントくんはその段ボール箱の中で丸くなっていたのだった。ニェネントくんをそこから追い出して段ボール箱を片付けてしまうということは、わたしには出来ない。

     

 今日は土曜日で、朝はFМでピーター・バラカンの「ウィークエンドサンシャイン」と、つづいてゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」を聴く。
 「ウィークエンドサンシャイン」では、先日亡くなられたメラニー・ソフィカの小特集。実はあの「ウッドストック・フェスティヴァル」で、いちばん最初に出演が決まっていたのが彼女だったという。彼女は「せいぜい数百人規模のイヴェント」だと思っていたらしいが。
 「ウッドストック・フェスティヴァル」を機として大きな人気者になったアーティストといえば、「サンタナ」と、この「メラニー・ソフィカ」だろう。残念ながら彼女のライヴは映画版「ウッドストック」には含まれなかったけれども、夜の闇の中、観客にキャンドル(ろうそく)を配っての美しいライヴだったという。
 そのあとの「世界の快適音楽セレクション」では、ちょっとわたしにはサプライズで、「モノクローム・セット」と「エッセンシャル・ロジック」という、わたしが当時(30年前?)大好きだった2組のミュージシャンの曲が流されたのだった。うれし。
 「モノクローム・セット」は今も活動中で、この4月には来日公演も予定されているという。がんばってるな。
 「エッセンシャル・ロジック」は早くに解散して、リーダーのローラ・ロジックがソロ活動を始めたのだけれども、ハレ・クリシュナ関係の新興宗教に入信し、音楽界から身を引かれてしまったのだった。素晴らしいシンガーではあられたことよ(最近、また音楽活動を再開されたともいうけれども)。

 午後には、大河ドラマ「光る君へ」の再放送を観る。日本のドラマはセリフが聴き取りにくいなあとは思っていたし、特にこのドラマは古い言葉が出てくるのでよけいにわからない。「困ったものだ」と思っていたのだが、何のことはない。「字幕サービス」を活用すればいいのだった。
 しかし、何だか「少女マンガ」みたいなドラマだなあという気もして、そんなに面白いものでもない。そのうちに観なくなるかもしれないな。

 テレビでは昨日だったか、「川口のクルド人問題」のことが取り上げられていて、川口市長が国に対して政策の見直しを訴えることになったという。
 多くの川口市で暮らすクルド人らは、要するにほとんどが「仮放免者」で、健康保険に加入できないし、本来は就労することもできない。しかし現実には彼らは主に「解体業」などに就労していて、もう「クルド人なくしては事業が成り立たない」状態にもなっているという。そこで川口市は国に「就労を可能とする制度」をつくってほしいと訴え、健康保険その他の行政サービスについても考え直してほしいとしたのだ。現状を考えればもっともなことだとは思う。
 しかしこの日のヤフーニュースには、またもデイリー新潮による「反クルド人」「反移民」署名記事が掲載されているのだった。この執筆者のことを調べてみると、名古屋入管収容所で死亡したウィシュマさんに「暴言」を吐いた、あの「維新の会」の議員を支持しているという人物だった。さいしょっから「反移民」のバイアスのかかった差別主義者で、人権をないがしろにする「産経新聞」「夕刊フジ」そして「デイリー新潮」には抗議したい。

 ちょっと観始めた、ヨルゴス・ランティモス監督の映画。この日は『聖なる鹿殺し』を観た。この作品はギリシャ悲劇の「アリウスのイピゲネイア」を下敷きにしているということで、そういう視点からみると、それなりに理解しやすい作品だったか。