ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『間違えられた男』(1956) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 映画の冒頭に、ヒッチコック自身が暗いスタジオの奥からのライトにシルエット姿であらわれ「これは、実際に起こった出来事を基にした映画です」と語る。今までの(そして、これから先の)ヒッチコック作品では、ヒッチコックは群衆の中の一人のようなかたちで「カメオ出演」するのが恒例だったが、自らとして出演してセリフを語るのは異例のこと。
 じっさい、この作品は英語版Wikipediaでは「docudrama film noir」と紹介されている。この「docudrama」というのは「実際の出来事をドラマ化して再現したテレビおよび映画のジャンル」ということで、日本的にいえば「再現ドラマ」ということになるだろうか。こういうこともヒッチコック作品では異例なことで、登場人物らは皆「実在の人物」で、その本名がそのまま使われている。
 いちおう「原作」はあって、マクスウェル・アンダーソンによる『クリストファー・エマニュエル・バレストレロの実話』と、当時の雑誌記事などから組み立てられていて、そのプロットは「現実の出来事」に厳密に沿っているということ。
 何より、この事件がじっさいに起きたのは1953年のことで、この映画が公開されたときには、まだ関係者らにはその記憶も生々しい頃だったろう。

 その「間違えられた男」マニーを演じたのはヘンリー・フォンダで、その妻のローズをヴェラ・マイルズが演じている。マニーの弁護士、フランク・オコナーを演じたのはアンソニー・クウェル。そして映画の中でヘンリー・フォンダが証人を探してあるアパートを訪ねたとき、「その人は去年死んだよ」と伝える2人の少女の、どちらか一方はチューズデイ・ウェルドだったらしい。また、どこかにハリー・ディーン・スタントンも出演していたということ。

 ストーリーはある意味単純で、ニューヨークのクラブのベース奏者であるマニーは、妻のローズの歯の治療のためにローズの生命保険を担保に保険会社から金を借りようとするのだが、保険会社の社員らは、マニーが以前この事務所を襲った強盗にそっくりだと考え、警察に通報する。帰宅する前にマニーは警官に連行され、かつて同じ強盗に襲われた店舗に連れて行かれ、「目視確認」を受ける。強盗の残したメモとのかんたんな筆跡鑑定も行われるが、マニーは強盗が書き間違えたのと同じ書き間違えをする。
 留置されたマニーは親せきらの尽力で高額の保釈金を払って自宅に戻り、勧められて弁護士のフランク・オコナーに弁護を依頼する。
 フランクに言われて、強盗の行われた日のアリバイを証明できる人物らを探すが、3人の候補のうち2人はすでに亡くなっていて、もう1人は探せない。
 そのうちに妻のローズは「夫がこんなことになった責任は自分にある」と自責の念にかられて精神を病み、フランクの勧めもあって入院することになる。
 裁判が始まり、マニーを犯人と断定する証人の証言が続き、フランクは陪審員に問題があるとして真偽のやり直しを提議、判事も了承する。
 そんなとき、ついに真犯人がまた犯行を行い、こんどは捕まってしまう。面通しで他の強盗事件の犯人もその男だったことがわかり、マニーは無罪解放される。
 この映画のさいごにマニーは病院のローズを訪ねて吉報を伝えるが、ローズの精神はまだ病んでいた。しかし最後に字幕で2年後にローズも回復されたとされ、町を家族で歩くバレストレロ家の後ろ姿が見えるのだ。

 とにかく、観ていても重苦しさの先に立つ演出というか、「これは事実なのだ」という思いがその重苦しさを生むのか、もうヒッチコックらしいユーモアの入り込む余地もない展開に息がつまる思いがする。あまりに「不条理」である。なぜ、何ひとつ絶対的な犯罪の証拠もないまま、ただ「怪しい」という疑念だけで留置所に留置し、裁判で有罪にされそうになってしまうのか。
 もちろんヒッチコックも、そのような警察のあり方を告発する意図もあってこの作品を撮ってはいるのだろう。もしも真犯人がもう犯罪を犯さなければ、ほぼ間違いなくマニーは有罪になっていただろう。

 じっさい、マニーは「不当逮捕」でニューヨーク市を訴え、50万ドルを要求したというが、7000ドルで和解を受け入れた。しかし、この映画の収益から彼は2万2000ドルを受け取り、実際には完治していなかったローズの介護のための費用に充てた。マニー本人はこの映画を気に入っていたという。
(付記:マーティン・スコセッシ監督は『タクシードライバー』を撮るにあたり、多くをこの『間違えられた男』に学んだという。音楽もバーナード・ハーマンだったことだし。)