ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『バルカン超特急』(1938) アルフレッド・ヒッチコック:監督

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  • マーガレット・ロックウッド
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 ヒッチコックの映画に限らず、昔に日本で公開された映画というのは、原題からかけ離れた邦題がつけられることが多いようで、この『バルカン超特急』も原題は「The Lady Vanishes」。いいんだけれど、この映画の始まる場所は「バンドリカ」という架空の国で、なぜそれが「バルカン」とされるのかは不明である。映画に出て来る音楽家のギルバートが研究しているというのが「中央ヨーロッパの民族舞踊」で、何となくブルガリアあたりっぽい民族衣装の人も登場するから「ブルガリア付近」=「バルカン」としたのだろうか。気になって調べたら、ヒッチコックではない別の監督がさいしょにオファーされ、それでまずはユーゴスラビアで背景の撮影をしていたのだという。まあユーゴとかブルガリアあたりがモデルなのだろう(どちらもナチス・ドイツと軍事同盟を締結していたし)。
 しかし登場する列車、とても「超特急」とは思えないのだが。

 映画はこれから帰国して結婚するという若い女性、アイリス・ヘンダーソン(マーガレット・ロックウッド)を追うことになるのだが、その前に映画の冒頭では、やはりイギリスへ帰る2人のイギリス人のチャーターズとカルディコットの行動を追い、「この2人が主人公なのか?」とか思ってしまう。この他にも、急行列車出発前夜の旅館でのコミカルな様子が描かれ、その中で前に書いた音楽家のギルバート氏(マイケル・レッドグレーブ~この人は、バネッサ・レッドグレーブのお父さんであった)なども登場するのだが、この導入部だけでたっぷり30分ぐらいかかってしまう。「本編は1時間かよ?」って感じ。

 さて、ようやっと列車が出発し、乗っているのは今までに書いた連中に加えて、どうやら不倫関係にあるらしい弁護士のカップル、そしてイタリア人の奇術師らの一行、それからアイリスが前夜旅館でとなりの部屋ということで顔見知りだった老婦人のミス・フロイらである(あとから、医師のエゴン・ハーツという人物も出て来るが)。
 アイリスはミス・フロイといっしょに、6人掛けコンパートメントにイタリア人奇術師一行と同室する。アイリスとミス・フロイはいっしょに食堂車でお茶を飲んだり、親交を深めるのだが、ちょっとしたあいだにミス・フロイはいなくなってしまうのだ。同室のイタリア人らに聞くと、そんな人は最初っからいなかったと言うのだ。イギリス人の2人も、不倫弁護士も「そんな人物は見なかった」という。エゴン医師はアイリスの脳の状態まで疑う発言をする。ただ、ギルバートだけは、「自分もミス・フロイの姿は見てはいないけれども、あなたの言うことを信用して調べてみよう」と、アイリスの味方になるのだった。いったいどういうことなのか?

 「もしもミス・フロイが実在するなら、さいしょの停車駅で降車するかもしれない」と、駅でアイリスとギルバートは外を見張るけれども、ただエゴン医師の患者だという全身繃帯で覆われた人物が、修道女といっしょに担架で乗って来ただけであった。
 アイリスが自分の席に戻ると、そこには「わたしは最初から乗っていた」という、ミス・フロイと同じ服装をしたクーマーという女性がすわっているのだった。
 しかし、アイリスは繃帯の患者と一緒に乗って来た修道女がハイヒールを履いていたことに気づき、そのことから繃帯ぐるみで乗ってきた患者は実はクーマーで、別のところに閉じ込められていたミス・フロイはクーマーの代わりに繃帯巻きにされて寝ていることがわかる。一味はエゴン医師とイタリア人奇術師一団で、不倫弁護士カップルやイギリス人の2人は、「面倒ごとに巻き込まれたくなくて」ミス・フロイを見なかったと答えていたのだった。

 さいごに、関係者らが乗っている車両は機関車と共に切り離されて別の路線を走り、敵国軍人らに囲まれてしまう。ここでミス・フロイは「自分は実はイギリスのスパイだから一人で逃げる。あなた方も逃げなさい」と、万が一のときに英国諜報局に伝える暗号を伝え残して(これが実は「言葉」ではなく、「曲」、「音楽(メロディー)」が暗号になっているのだが)、森の中へ消えて行く。
 エラいことに銃撃戦になってしまうが、ギルバートとイギリス人の一人とで機関車を動かして元の線路に戻し、無事に助かるのであった。イギリスに帰国したギルバートとアイリスが英国諜報局へ行くと、そこにはミス・フロイがいて、その暗号になった曲を弾いているのだった。アイリスは婚約を破棄し、ギルバートといっしょになることを選ぶのだった。チャンチャン。

 ‥‥面白い! ヒッチコックの演出は、ミステリーとサスペンス、そしてユーモアとをうまくブレンドしながら、一級品の娯楽作品をつくり出していたと思う。この独創的なストーリーの前では、多少の混乱ももう気にはならないだろう。
 そしてこの映画はいちおう「架空の国」を舞台にした「創作」となってはいるけれども、この映画製作時の国際情勢からも、架空とはいえ中央ヨーロッパあたりが舞台だろうと想像できることからも、映画ラストに登場する軍人の軍服からも、明らかにナチス・ドイツを念頭に置いた作品にはなっていると思う。

 あと、わたしには前の『第3逃亡者』のホテルのシーンのように「すっごい撮影!」と思えるシーンがあって、それは映画のいちばん冒頭の、雪の山腹からカメラが下に見える駅を俯瞰して下りながら移動して行き、あたりの家のついそばのあたりまで来て、その家の窓を写す場面なんだけれども、当時はまさかドローンなどあり得ないし、普通に考えれば航空撮影だけれども、それが最終的に低く降りて家の窓のそばまで来るというのは、飛行機ではあり得ないことだ。わたしはこのシーンは全体に精巧な「ジオラマ」での撮影ではないかと思ったのだが、確認でこのシーンを見直してみると、その駅のホームに3~4人の人物が立っていて、これが「人形」ではなく、カメラが降りて行くと動くように見える。どういうことなんだろう? ネットで検索してもこ~んなことを問題にしている人はいないし、わたしにはわからないのだ。

 この映画はアメリカでも高く評価され、1939年の「ニューヨーク映画批評家協会賞」の「最優秀監督賞」を受賞した。これはヒッチコックが「監督賞」を受賞した唯一の機会だった。そして次の『巌窟の野獣』を撮ったあとにアメリカに渡り、以後さいごまでアメリカで映画を撮り続けたのだった。