急に、今村夏子原作の『こちらあみ子』が映画化されていて、もう公開が始まっているはずだと思い出し、調べてみるととっくに公開は始まっていて、「そろそろ終了」というあたりなのだった。それが東京では新宿と渋谷の2館の映画館だけの上映で(あと立川でもやってるが、それはムリ)、渋谷は夕方1回だけの上映になっている。新宿は朝10時、昼の2時、それと夕方の6時ぐらいからの3回上映で、平日に行くとするならば昼の2時の回だが、仕事を終えてから2時間以上時間をつぶさなければならないし、映画を観たあとの帰りの電車も混み合いそうで、行きたくない。
それにこの週末には「シャンタル・アケルマン映画祭」の2本目、『ジャンヌ・ディエルマン~』という、200分の作品を観なければならないことだし、やはり『こちらあみ子』を観る時間は取れないだろうか。
ただ、将来的にその『こちらあみ子』が、となり駅の映画館で上映される可能性もある。『こちらあみ子』の公式サイトを見ればわかるかと見てみたが、いまのところは予定には入っていなかった。
ただ、その「これからの上映予定」を見ていると、わたしが茨城に住んでいたときによく映画を観に行った映画館の名前があった。「あの映画館もさすがだなあ」とは思ったが、まさかウチからその映画館へ観に行くことは考えられない。
その茨城の映画館(正確には栃木県にあるのだが)の上映スケジュールをチェックしてみると、なんと今、カール・テオドア・ドライヤー監督の特集はやっているし、8月にはパゾリーニの特集もやるみたいだ。そ~んなカッコいい映画館、東京にはないぞ。っていうか、わたしが茨城にいたころはそこまでにカッコいい特集はやらなかった記憶があるが。
ちなみに、パゾリーニの『テオレマ』もやるようで、「観たいな~!」と思う。DVDもずっと「廃盤」でプレミア価格になっていたし、「今、DVDはいくらぐらいの値段になっているのだろうか」とAmazonでチェックしてみると、実は9月には新装盤のDVDがリリースされるらしいことがわかった。買う予定に入れておこうと思うのだった。
今日は雨になるという予報もなく、晴れてけっこう暑い一日になった。帰り道、空を見上げると、空高く太陽へと届くような夏らしい雲が見られた。
一羽のスズメが地面に降りて、見つけた食べ物をしきりにつっついているのだったが、写真はブレてしまってうまく撮影はできなかった。
帰宅してテレビをみていると、このところは予想外にニュースショーなどで「自民党」と「旧:統一教会」との関係を追及しつづけている。
わたしは「旧:統一教会」というのは「勝共連合」の母体でもあることだし、まずは「反共」ということがあり、そこで自民党との結びつきも強いのだろうとは思っていたのだが、これがまったく予想外に、「旧:統一教会」は「北朝鮮」との結びつきが強く、「旧:統一教会」から「北朝鮮」への相当の援助も行われていたらしい。故阿部元首相は、そんな「旧:統一教会」と「北朝鮮」との結びつきから、「拉致問題」の解決も考えていたらしいのである。
ただ、最近ネットで読んだところでは、「旧:統一教会」は日本による長い朝鮮支配の歴史を攻撃し、朝鮮による日本の「蹂躙」を考えていた(いる)らしく、それでは長く続く(国としての)韓国による日本非難、「反日」と同じであり、そのような韓国の姿勢に反撥している「自民党」の姿勢と相容れないことになる。それは自民党が騙されていたのかというと、どうもそういうことでもなく、これはもう「政治的主張」とは無関係に、「利権をむさぼる」とか「私利私欲のため」みたいなところで結び付いているのではないかと思ったりする。
思いのほか、「旧:統一教会」はさまざまな問題での「回答」に慎重さが欠けるというか、「ボロボロ」ではないか、というところもある。優れたブレーンが不在だという印象もあるし、それは「自民党」にしても同じことで、いろいろと「ボロ」を出しつづけているようだ。
わたしがここで思うのは、コレは旧的な「右翼」・「左翼」との対決と捉えず、リベラル側も今までの生っちょろい「右派を攻撃していればいい」的な思想・戦略をそれこそ「脱構築」(古い言葉で恥ずかしいが)すべきではないのか。単に今の「社会民主主義」的な思想を見直さないと、「統一教会」的な「異次元」に無力だったりするだろう(これもまた、「優れたブレーン」の不在、ということになるだろう)。そういう意味では日本共産党の「改良・共産主義」みたいな思想の方が強くなってしまうし、わたしは、それを乗り越える方策が求められているとは思う(今日は、まだ自分の中で未整理のことをちょっと強引に書いてみたが)。