ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-07-26(Tue)

 早朝に目覚めてリヴィングへ移ると、窓の外から、雨が降っている「雨だれ」の音が聞こえた。けっこう強く降っているみたいだ。
 ケータイの天気予報をみると、これから朝の9時ぐらいまでは雨がつづき、そのあとに雨は上がるような予報だった(パソコンでみる天気予報は3時間ごととかの大きな区切りでの予報だけれども、ケータイだと1時間ごとの予報が出るので、いつもみるのはケータイの天気予報だ)。
 では、わたしが仕事を終えて帰るときには雨はやんでいるわけだなと思い、大きな傘を持って出るのはやめて、折りたたみ傘で出かけることにした。帰るときに雨がやんでいれば、折りたたみ傘はたたんでバッグに収められるからだ。
 それで折りたたみ傘をさして家を出たのだが、思いのほか雨脚は強く、風もあるのか、傘をさしていても上半身にも雨がかかる。「これはいちど家に戻って、ちゃんとした大きな傘をさした方がいいかな?」とは思ったが、もう駅への道も歩きはじめていたし、「今だけ辛抱すればいいのだ」と、がんばって駅までの道を歩いた。

 雨のせいか、乗った電車が途中駅でしばらくストップして、出社がいつもより遅れたりもしたが、なんとか仕事場に到着した。仕事を始めてしばらくしたら、外の雨もけっこう小やみになってしまったようだった。
 そんなときに仕事場の外をぐるりと巡回すると、エントランスのわきのハーブの植え込みの横で、けっこうデカい蛾がひっくり返って、バタバタバタバタともがいていた。「あららら、やっぱりもう寿命かね?」などと思ったが、寿命を遂げるにしても、その舗石の上でよりも、「土」の上での方がいいだろうと思い、持っていたファイルでその蛾をすくい上げ、そばのハーブの植え込みの中に移してあげた。そこで死んでしまうならそれで仕方がないだろう。
 それであたりを一巡してその植え込みのところに戻ってみると、さっきの蛾はもう姿が見えないのだった。これは、ついこのあいだの「カブトムシ」とおんなじ展開だ。ただ妙な具合でひっくり返ってしまって、自力ではどうしても起き上がれなかったのだけれども、起こしてあげればけっこう生命力を取り戻すというか、また活動的になったりするわけだろうか。
 これでまた、少しでも生き延びてくれたならいいことだ。わたしは先日のカブトムシにつづいて、また「生命を救った」のだろうか? わたしは「天国」へのチケットを手に入れられるのだろうか?

 雨はそうやって一時は「小やみ」になっていたのだが、これが9時ごろにはものすごい雨になり、雨しぶきで道路が白く曇ってみえるぐらいにもなった。これだけの雨も、めったに見られるものでもない。
 まあ天気予報でも「雨は9時ぐらいまで」といっていたから、もうじきやむのだろうと思っていたのだけれども、さすがに9時ごろの強烈な雨はすぐに収まったとはいえ、いつまでも雨はやまず、けっきょくわたしが仕事を終えて帰路に着くときにも、「傘」は必要なのだった。「こういうことだったら、折りたたみ傘ではないしっかりした大きな傘を持って出ればよかった!」と、悔しい思いをするのだった。

 自宅駅に戻ると、かなり雨脚は弱くはなっていたけれども、やっぱり傘は必要。がっくりであった。
 ウチの近くの道路際で、そんな雨の中でも何羽かのスズメたちが地面に降りていて、何か食べるものでも探しているようだった。スズメの生活も大変だな。

     

 帰宅して、昼食はまたまた昨日の残りの「ざるラーメン」。そして夕食には昨日買った絹豆腐で、「冷や奴」だけの食材となる。「栄養失調」まっしぐらの食生活である。

 昨日、読んでいる『ポオ小説全集』の2で、『モルグ街の殺人』を読んだのだが、この小説を前に読んだのはもう二十年とかそれ以上昔のことだと思うのだけれども、(実は窓を固定してあったと思われた釘が、途中で折れてちゃんと刺さっていなかったこととか)けっこうしっかりと記憶していた。
 ただわたしは、前に読んだ『アーサー・ゴードン・ピムの物語』みたいな、「大事なこと」を書いていない小説は面白く読んだのだけれども、この『モルグ街の殺人』みたいな、何もかも理詰めに「オレはすべて説明できる」というような作品は苦手だ。けっきょく、「説明」を排除すれば「な~んにも残らない」気がしてしまう。

 それで『ポオ小説全集』はちょっと「お休み」して、先週買った、マグナス・ミルズという作家の『鑑識レコード倶楽部』なる本を読み始めた。
 この小説、なんというか、仲間たち同好の士たちが、毎週行きつけのバーに集合して、それぞれが持って来たレコードをいっしょに聴く、というような作品なのだけれども、このグループはレコードを聴いても余計なコメントは語らず、ただただ聴くだけなのだ。まあそれでは「小説」にならないというか、それからいろいろあるのだけれども、とにかくはかけられるたくさんのレコードのタイトルは列挙される。
 まあ作者はわたしと同世代の人らしく、かけられるレコードは60年代のモノを中心にそれ以降のモノなわけだけれども、う~ん、いまのところ、出て来るレコード・タイトルは三分の一ぐらいしかわからないな。
 ただ、わたしも作者と同じ世代の「音楽愛好家」ではあるわけだし、この本で繰り広げられる、「音楽評」「ミュージシャン評」ではない、「レコード論」というか「メディア論」みたいなモノは面白く感じ、この小説の感想とは別に、わたしなりに「レコードとは?」ということを書いてみたくなるのだった。
 ただ、そういう話題だとわたしは「歯止め」が効かなくなるので、平気で五千文字とか一万文字とか書いてしまいそうだ。
 でも、考えだすと書きたくもなってしまうので、そのうちに書き始めてしまうかもしれない。