ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-26(Tue)

 毎日、天候のことばかりを書いてしまうが、この日は朝から曇天がつづき、午後からは雨が降り出すだろうという予報だった。
 そうするとそういうとき、「傘を持って出るべきか?」というのがけっこう大きな問題で、それは「折りたたみ傘」をバッグの中に入れて出ればいいのだけれども、最近の気分としてはバッグに折りたたみ傘をしのばせておくというのも、「バッグが重たくなるよね」という感じでやりたくない。以前はぜったいに雨なんか降りっこないピーカン照りの日でもバッグに折りたたみ傘を入れておいたのに、大きな変化である。

 この日の時間ごとの予報をみると、雨が降り出すのは午後1時すぎからということで、わたしが仕事を終えて帰宅する時間は雨にはならないのではないかという感じ。ということで、この日は傘を持たずに家を出た。
 職場のあたり、このところ毎日のようにスズメたちの姿をたくさん見かけるようになっていたけれども、この朝はそんなスズメの姿もあまり見られず、見かけても写真には撮れなかった。

 さて、仕事中は外で雨が降っている気配はなかったのだけれども、仕事を終えて駅へと歩き出したとき、ちょうど見計らったみたいに細かい雨が降り出したのだった。メトロの駅に向かう途中に少しずつ雨脚も強くなる。天気予報の時間よりも早い雨だ。
 雨というのは西から東へと移動して行く。「これはわたしがこれから乗る電車と、雨雲の移動とどっちが早いかの競争だな!」とか思ったのだが、これがまさに、わたしが自宅駅に到着して外に出たときに雨が降り始めた。まあ、電車の速度と雨雲の速度とは、まったくおんなじスピードだったのか。

 今日の帰路は、南のドラッグストアから「ふるさと公園」に行ってコブハクチョウのチェック、というコース取りのつもりだったから、このまま雨が強くなるようならばドラッグストアでビニール傘とか買わないといけないな、などと思う。
 ドラッグストアに近づくにつれて雨脚も強くなるようで、「やっぱりビニール傘を買うべきか?」と思ったが、いちおうドラッグストアの中を一周して、それでいちど外に出て雨の様子を見てみると、なんと奇蹟的に、さっきまでの雨はほとんど止んでいたのだった。
 「ビニール傘なんか買いたくない」という気もちが空に通じたのか、とにかくは止んでくれてありがたい。これでウチに帰るまで降らないでくれればいいのだが。

 「ふるさと公園」へ行き、まっ先にコブハクチョウの営巣地に行ってみる。
 むむむ、まだ親鳥は巣ごもりしていて、卵の孵化はまだのようだ。ただ、親鳥がその腰を浮かしたりしていて、これまでとの様子も異なり、ひょっとしたら親鳥のからだの下でもう「孵化」してるんじゃないかとも思って、しばらく観察してみたが、やはりまだ孵化はしていなかったようだ。孵化ももう近々のことだとは思うのだが。

     

     

 この日は、コサギの姿も公園の中で見られた。

     

     

 帰宅してテレビ。知床の観光周遊船遭難事故の件は、その後船体も行方不明者も発見されない。どうやらやはり船は沈没したらしく、その前に乗客の方から家族に「乗っている船が沈む。いままでありがとう」とのケータイ連絡があったという。
 あらためて思い出すのは、1985年の「日航機墜落事故」のことで、あのときにも乗客らは操縦不能のまま迷走する旅客機の中で、ただ墜落を待つような30分とかの時間に身をさらされたのだった。今回もおそらく、乗客の方たちは「もう沈没するしかない」というところに身をさらされておられたわけだろう。
 もう生存されている可能性はないだろうが、ただ乗船していた船と共に地上に戻られるように、願うしかない。

 昨日、安倍元首相が「日本の国防費を倍増せよ」と語っていると書いたが、わたしたち日本人は、あの「太平洋戦争」から80年を経た今も、アジア諸国、そして西欧諸国からみて、まだ今でも日本は「戦争犯罪国」と見られていることに「知らんぷり」しすぎだろうと思う。「(戦争での侵略行為に関して)毎年毎年、いつまで日本は謝りつづければいいのだ」という輩も多く、今では8月15日という日も、まるで自分たちが「被害者」であるように語り、「8月6日」「8月9日」とが連続しているかのごとくにふるまうけれども、これは別のことがらである。
 ちょっと脱線したが、何が言いたいかというと、まだまだ海外では、この日本が軍備費を増加させることへの警戒感はあるのだ。例えば現在は日米間には「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米同盟)」という軍事同盟が結ばれていて、もちろん現在もバリバリに有効なのだけれども、これはしばらく前にトランプ前大統領が「アメリカがより大きな負担を負うだけではないか」と不満を語ったが、このことは条約締結時のアメリカの考えとして「日本に戦争前のような軍備をさせてはいけない」という「危機意識」があったわけで、そのことは今げんざいになって「まあ日本も今になったらせいぜい軍備してもらって、ことによったら<核武装>してもいいんじゃない?」ということになるのかどうか、ということ。

 だからもういちど書けば、日本は今でも、外からみて「戦争犯罪国」だったという過去を払拭してはいないと思う。
 「じゃあ、例えばロシアや中華人民共和国が日本を侵略しても、<やられっぱなし>になるのか?」というと、んなことはアメリカは放置しておけない。「それでは、今の日本はアメリカに庇護されるだけの国なのか?」といえば、「その通りだ」と答えるしかないだろうし、そこから日本が「はみ出そう」とすれば、世界の多くの国の<反撥>を招くことだろう。
 「それではやはり、日本は<憲法第9条>を守るべきなのか?」と問うとすれば、わたしは「そうだ」と答える。しかしわたしは素直にそう思っているわけではなく、<憲法第9条>とは言わば、「アンビリーバブル」な消失点であり、それは「空間のねじれ」もしくは「シュルレアリスム」として了解できるものではないかと思うし、リアルに語れば、このことが「戦争犯罪国」としての懺悔だろう。