ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-02(Fri)

 昨日の夕方の報道で、都内でとつぜんに激しい雨が降り出すさまが写されていた。「あんな雨では、わたしの使っている折りたたみ傘など何の役にも立たないな」とは思った。
 今朝起きてみると、その目覚めた時間は外に雨は降っていないようだったが、ケータイの時間ごとの天気予報を見ると、ちょうどわたしが仕事を終えて帰路に着く前後にはしっかり「傘」マークが全開だった。「これは、折りたたみ傘をバッグにしのばせて行っても、昨日のテレビで見たような雨になれば役に立たないだろう」と、大きな傘を持って家を出ることにした。

 勤務先の駅に着いたときにはまだ雨になってもいず、いつもの職場近くの芝生ではスズメたちが群れていた。
 この朝は4羽のスズメたちが芝生を飛び交っていたが、おそらくはわたしが毎朝この芝生で出会うスズメは、きっと同じ個体なのだろうと思う。しかしスズメは小さいし、目視で「個体差」を識別するのは困難だ。以前はこのあたりに孵化して間もないスズメで、くちばしのまわりがまだ黄色いコがいて、「ああ、あのヒナだ」と識別することは出来たものだったが(今日はちょっとピンボケの写真でご容赦を!)

     

 仕事を始めて、8時ぐらいには予報通りに雨が降り始めたけれども、けっきょく10時ぐらいにはやんでしまい、帰りも傘をさすことはなく、ただ大きな傘の持ち運びが邪魔なだけになってしまった。どうもこのところ、天気予報はアテにならない(特に時間ごとの予報はまったくダメだ)。

 通勤の電車の中とかで『ポオ 詩と詩論』を読もうとするが、やはり読んでいると「なんだこれは」というような詩篇も多く、またまた読みあぐねてしまうのだった。まあ今までに読んだ中では「夢の夢」とか「鴉」などはたしかに、極上の傑作だと思うのだが。

 そういうポオの詩のせいでもないだろうが、昨日今日と、精神のあり方がネガティヴに陥っていると自覚する。頭の中を支配するのは、「アレはダメだった」とか「コレもダメだろう」みたいな思考回路ばかりになっている。過去のいろいろな事柄への「恨みつらみ」が頭を占めている。そのことは突き詰めると、現在の自分への「否定的気分」となる。今朝はなぜか、自分が「馬」になってしまったような夢をみていたようだ。

 帰宅してから、何かサブスクで配信されている映画を観ようと思うのだったが、今すぐに観たいような映画はない。
 それ以上に、そんな「今観れる映画」のリストをながめながら、「この映画はすでに観ているな」と思っても、いったいその映画がどういう映画だったのか、ストーリーも何も思い出せないわけで、そのことでさらにネガティヴな気分が増長されるのだった。

 ネットとかを見ていても、このところの香川照之氏のスキャンダルばかりが眼に入って来て、さらにわたしのネガティヴ気分は増幅されるみたいだ(この話題はあまり書きたくはないのだが)。わたしは性格俳優としての香川照之氏が好きだったし(特に黒沢清監督の『クリーピー 偽りの隣人』の怪演とか)、何よりも『香川照之の昆虫すごいZ!』の大ファンではあったわけだ。
 チラッとそういう報道を読んだ限りでは、「これは<人間失格>だなあ」という印象もあり、もう『昆虫すごいZ!』の継続はないだろうな、とは思う。とても残念だ。
 いろいろと思うところはあるが、あまり余計なことは書かないでわたしの考えを書けば、彼は当面は「歌舞伎」の世界に活動を絞られるしかないようには思う。「野原の蝶」を追うことと、「夜の蝶」を追うことをいっしょにしてはいけないとは思うのだ。
 三年前の「事件」が今になって蒸し返されることの背後に、「香川氏を貶めよう」とする力がはたらいていたのかもしれないが、そのような動きを払しょく出来るような香川氏の行為ではなかったと思う。