ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-09-01(Thu)

 日本列島の南の沖で発生した台風が勢力を拡大しながら西に移動し、「猛烈な」台風となって沖縄の西まで行き、こんどはそこから北から北東へと軌道修正するみたいだ。まあ台風が本土に上陸したりすることはないようだけれども、その影響だろうけれどもこのあたりでも天候は不順。
 天気予報では雨になってもわたしの通勤時間にはかからない感じだったので、出勤のときは傘は持たずに家を出た。でも明るくなりかけている東の空には真っ黒い雲が風に流れているのが見え、「これは天気悪くなりそう」という感じだった。

     

 勤務先の駅に着いて外に出ると、そのときにちょうどポツポツと雨が降り出して来た。まだ傘が必要になる雨量ではなかったが、天気予報の「雨の降り出す予測時間」は外れている。

 勤務先近くの芝生には、このところ毎朝スズメたちが群れている姿が見られ、わたしの朝の楽しみにはなっている。この朝カメラを向けたら、ワンフレームの中に5羽ものスズメを撮ることが出来た。今までの「記録」だと思う。

     

 仕事を始めるとその頃には外は本降りになっていて、とても傘がなくては外は歩けない雨量だった。そのうちに持っているケータイに、わたしの家のある地域でかなりの豪雨になりそうだとの予測が着信した。「傘を持って出なかったのは失敗だったか」と思ったが、わたしの仕事が終わるころには雨はすっかり上がっていた。

 自宅駅に着いたときにはもう晴れていて、陽射しがけっこう強い。しかし、舗装された道路を見ても、この数時間のあいだに強い雨が降ったとはとても思えない。しっかり乾いているのだった。今は耕作されていない畑のそばを歩いても、畑の土が雨で濡れている気配はなかった。どうも、天気予報はまたもしっかり外れてしまったのではないかと思った。

 さて、わたしが仕事を終えて帰宅するのは、早ければ12時半、途中買い物とかして遅くなってもだいたい1時までには帰宅するのだけれども、そこからまったりしてしまい、「さて昼食にしよう」と腰を上げるまでにはけっこう時間がかかり、だいたい2時ぐらいからのことになってしまうし、それで何かつくったりすると、昼食は2時半からとかになってしまう。
 「それはさすがに遅すぎるだろう」とも考えていて、「これからは週に2度ぐらいはスーパーでお弁当を買って帰ろうか」などと思い、まずこの日はスーパーに立ち寄って「レバニラ炒め弁当」というのを買って帰り、帰宅後にすぐ食べてみた。
 う~ん、「レバニラ炒め弁当」という選択が良くなかったのか、わたしには味がちょっとしょっぱすぎたようだ(というか、自分でつくった「レバニラ炒め」の方が美味しいと思った)。それに、わたしの昼食としては量も多すぎた。これならコンビニのおにぎり2個とかでよかった気がする。「お弁当を買って帰ろう」という計画は、その第一回から「頓挫」である。

 ウチに帰宅してテレビをつけると、テレビ小説の『ちむどんどん』の昼の再放送に間に合ってしまう。もう今はほとんどマジメに見ることもないのだけれども、このところYahooのニュースなどでも、この『ちむどんどん』の話題でかまびすしいようだ。それはTwitterなどでこの番組への批判が異様に盛り上がっていることからも来ているようだが、どうも読んでみると、そういう批判の声が大きいことを取り上げながらも、「その批判はあたらない」とか、「あと一ヶ月、これからの展開が楽しみだ」などと、けっきょくは「擁護」している記事が多い。おそらくはどこかからの「指金」でもあるのだろうとは想像する。

 この日は夕方になって、何とNHKの会長がこの日の定例会見で、この『ちむどんどん』に言及されたという報道があった。そこでNHK会長は「(この番組には)様々なご意見をいただいていますが、ドラマということでご理解いただきたい。ご意見をいただいて、ドラマというのは成長していく」と語ったのだという。
 ‥‥何が言いたいのかよくわからない。視聴者がこの番組を「ドラマ」と認識していなくって、リアルな「現実」と取り違えているとでもいうのだろうか?
 しかも、「ご意見をいただいて、ドラマというのは成長していく」という。では批判的な意見もOKではないか。

 小説だろうが映画だろうがテレビドラマだろうが、「創作」であれば、たんじゅんな言い方で「良い出来」の作品もあり、「悪い出来」の作品もあるのは当然で、それが「良い出来」であれば賛美され、小説であればその売り上げが伸びることにもなるだろうし、映画であれば観客が増え、何らかの映画賞を受賞することだろう。
 一方で「出来が悪い」ようであれば本ならば売れないし、映画ならば客が入らず、著者・製作者らは「あかんかったか」と反省もすることだろう。
 しかし、このNHKの「朝のテレビ小説」の場合、客観的な「良し悪し」の判断は「視聴率」ぐらいしかないわけだけれども、多くの人が言うように、多くの家庭では「長らくの習慣」で、ある意味では「時計代わり」にして、この時間に「朝のテレビ小説」を見る人は多いだろう。
 それでじっさいに、この『ちむどんどん』はさほど視聴率は良くないらしいのだが、逆にネット上でこの番組を批判されることが多く、それで「じゃあ見てみようか」という、いわば「炎上商法」的なところもあるのではないかとも言われている。
 これが民放であれば、これだけの批判意見が殺到すればまずはスポンサーが「コレはヤバい!」と認識し、以前ならば「途中打ち切り」という事態になったことだろう(最近そういう「打ち切り」の話は聞かないが)。
 つまり何を言いたいかと言うと、NHKは、これだけの視聴者からの「批判」をどう思っているのか、ということではある。
 わたしがこの番組を覗き見た印象では、「脚本はひどいし、演出は稚拙。主演俳優らも役作りがなっていない」というところなのだが、番組はそんなことにかまわずに突っ走っている。
 こういうところは、国民の声を聞かずに「安倍元総理の国葬」に突っ走る自民党・岸田政権とのシンクロニシティをも感じてしまう。

 むむむ、今日はつまらないことを長々と書いてしまったが、まあこれもわたし自身の精神の「リハビリ」ではあるので、お赦しを。