ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-04-19(Tue)

 今日の火曜日は市の「燃えないゴミ」の収集日で、前から書いているように、早朝の4時半とかに家を出るわたしはいろいろあって、「空き瓶」や「空き缶」を出せないかたちになっている(もちろん、わたしの側に「落ち度」とか「責められる要素」はない)。そのことで市のクリーンセンターに連絡をして、クリーンセンターの人間がウチに来て、「ではこれからはこうしましょう」ということになっていたのだけれども、仔細は書かないけれども、その「約束」が守られず、またもやわたしは「空き瓶」「空き缶」を出せない状態ではある。いずれまたクリーンセンターに苦情を述べることになるだろうけれども、とりあえず「非常手段」で、今ウチにある「空き瓶「空き缶」は出せるようにした。正規の出し方ではないけれども、「不正」をやっているわけではないし、わたしは今でも困っている。
 2週間にいちどの「空き瓶」「空き缶」収集日、まだ次回までは何とか対処できると思うが、その次はどうなるかわからない。

 今朝は出勤の途中、勤め先駅から勤め先へと歩くあいだに、歩道の並木の枝に「ヒヨドリ」が来ているのが見られた。こんな都心にもヒヨドリの姿が見られたのに、ちょっとおどろいた。下の写真は、ちょっといいシャッターチャンスだった。

     

     

 そして、このところおなじみの、スズメの姿もいっぱい見られた。

     

     

 今日も、晴天というわけでもなく、気温もそんなに上がらなかった。
 仕事の帰りには自宅駅から「野良ネコ通り」を歩き、まずは「ミケ」に出会った。
 キリッとした姿がカッコよく、まるでエジプトのネコの神「バステト」みたいだ(後ろの車の車輪が後光のように見える)。

     

 そしてこの日は、新顔のサバネコくんに出会った。誰かが目の前に「カリカリ」を置いてあげているようだが。

     

 すぐそばで、「ハナクロ」と「ヒゲ殿下」が仲良く寝っ転がっていた。

     

 そして、ウチの近くの家のアンテナの上にもまたヒヨドリがいて、ピーピーとさかんに鳴いていたのだった。

     

 しかし、このところこの日記は、ほとんど「ネコ」のことと「野鳥」のことばかり書いているような気がする。

 帰宅して、この日はようやっと『底知れぬ愛の闇』を観終わった。途中までは、原作とくらべても「コレではよろしくないね」と思っていたけれども、そのラストで「あれれ? 原作とちがった面白さがあるかな?」などと思ってしまうのだった。

 そのあとに読んだ報道で「これは?!」というのがあったのだが、牛丼の「吉野家」の常務が、早稲田大学での社会人向けの「マーケティング講座」の講師として登壇し、その壇上から「若者(特に女性)を牛丼好きにならせる方策」として、「地方から出てきた右も左も分からない生娘さんが、初めて(吉野家を)利用して、そのままシャブ漬けになるような企画」などと語ったという。まあこのお方のこの日の<不適切な>発言はこれだけにとどまらないのだけれども、「公(おおやけ)の場の壇上で、よくぞまあそんなことを言ってのけたものだなあ」と逆に感心してしまう。
 この講座、学生相手ではなくそれなりの受講料もかかる講座で全29回、計算すると1回の講座の参加料は1万3千円を超える。それで問題になった講義はその初日第1回の講義だったらしいけれども、そんなしょっぱなの講義から、居酒屋での雑談でも「このオヤジ、とんでもないこと言うな~」と思うようなゲスな話(例え話としても「シャブ漬け」などヤクザ絡みの「犯罪」だし、そもそも「右も左もわからない生娘」なんて、「女性蔑視」もはなはだしいぜよ!)を聞かされ、それでそのゲスな話に1万3千円とかぶんだくられたら、「コレのどこがマーケティング講座?」と怒って普通だろう(いったい何を学べというのか?)。「吉野家」がど~のこ~のということを置いておいても、講師がどんな話をするかも承諾せずに講師に任せっきりだったこの「マーケティング講座」は、もう全額払い戻して中止すべきだろう(まあ講師が壇上でとつぜん発狂したようなものだから、事前チェックも出来ないか)。いちおう、講座企画側としてはその吉野家の常務をただちに解任したらしい。当然であろう(その後、吉野家もその常務を解任したという報道があった)。
 けっこうまだ40代で有能、外資系企業からヘッドハンティングされて吉野家へやって来た人物らしいけれども、まさに「好事魔多し」というところだったのだろう。