ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『事件』(1978) 大岡昇平:原作 新藤兼人:脚本 野村芳太郎:監督

 この原作は刊行当時すっごい売れて、わたしもこの原作を読んだ記憶は何となく残っているし、実はこの映画も観ているのではないかと思う。まあそういう原作の記憶もすべて忘れてのこの作品の鑑賞。

 まず思ったのは、この映画はおそらく「アフレコ」処理されているのだと思うのだけれども、近年の邦画に比べてめっちゃセリフが聞き取りやすい。最近はいつも、邦画をこうやってサブスクで観るときにはセリフが聞き取りにくく、音量を不必要に上げたりしていたのだったけれども、観ていてそういうストレスをまるで感じることはなかった。まあだからすべての映画はアフレコにせよ、などと言うつもりはないが。

 だいたい、観ているとはじまって20分ぐらいのところの映像で、「ああ、真相はこうだったのか!」というのがネタバレ的に提示されていて、そういうところではこの映画の主舞台である「裁判所」内での了解事項と、観ている観客との了解事項とに差異が出来、観客の側は「わたしは知っている」みたいな特権的なところに置かれてしまうのは、ひとつの作品として「どうだろう?」とは思う。法廷での進行と同じように、だんだんに「そうだったのか!」と解明されて行く展開の方が感銘も強かったのではないか、とも思う。
 一方で、出廷した「証人」たちが一定して自分の知っている「真実」を正直に語っているとも思えないところもあり(これがラストに絡んでくる)、「信頼できない語り手」による物語としての、メタ的な面白さもあるのではないかとも思ったが、そういう演出指向はなかったようだ。

 始まってしばらくの法廷内での進行は、証人の証言が弁護人(丹波哲郎)の追及で「そりゃあ違うだろ!」となってしまう展開の連続で、観ていてけっこう大笑いしてしまっていた。
 けっきょく、作品として、裁判長(佐分利信)が「この裁判をどのように捉えているか」ということが法廷の背後で大きな意味を持っていて、そのことをおぼろげながらも匂わせる脚本が及第点、なのだろうか。一方で弁護人の法定外での立ち位置はそれなりに語られてはいたけれども、検事(芦田伸介)の側はこういう「裁判制度」の中で、どのような意識を持っていたのかということはわからない。観ているとコレは裁判長、検事、弁護士との「駆け引き」というドラマもありそうに思えたので、そのあたりで検事の意識がなおざりにされた感はある(まあ大した意識ではなかろうにせよ)。

 一方で、「事件」の関係者証人の、中盤からの法廷での証言の推移はスリリングに面白かった。やはりキーになったのは、被告とされたヒロシ(永島敏行)の恋人で、しかも被害者ハツコ(松坂慶子)の妹、ヒロシの子を宿しているヨシコ(大竹しのぶ)の存在と、ハツコの「ひも」であった宮内(渡瀬恒彦)というやくざ者との存在。
 特に宮内はまさに「信頼できない証人」的な立ち位置から証言をはじめ、それが弁護側に突き崩されると、実は事件の根本、「殺人」の瞬間を目撃していたことを語りはじめる。この証言は、裁判長以下が「現場検証」みたいなかたちで現地に赴き、その位置関係などを確認しているから、「偽証」ではない。しかし宮内という男、死んだハツコの「死」までの行動を陰で律していた存在ではあったわけで、このあたりの「事件」に至るドラマは見ごたえがあった。
 ひとつには、この舞台になったような、当時の小田急線沿線の大和より南側(映画では「高座渋谷」)あたりの、「まだ開発させる以前の」経済成長からいまだ取り残されたような町の閉塞感があり、ハツコはそんな町から飛び出して新宿あたりの水商売に飛び込むが、けっきょく宮内のような男と出会ってしまい、男の都合がいいように育った町に戻って来て、宮内の世話でスナックを開業する。彼女はそんなしがらみから逃れようとはしていただろう。
 そしてヨシコは被害者ハツコの妹であり、被告のヒロシの恋人で彼の子を宿している身ではある。彼女も裁判で証人として出廷するが、彼女の証言は意識的にせよ無意識にせよ、被告のヒロシの裁判官への心証を良くしたいというモチベーションはあるだろう。そこで検察官は、ヨシコにうまく導かれたとしても、「失策」ともいえる質問をヨシコにし、ここでのヨシコの怒気を含んだ返答がちょっとした映画のクライマックスでもあり、大竹しのぶという女優の力量を見せつける場面ともなった。

 映画のラストで、臨月のお腹を抱えて歩くヨシコが宮内とすれ違うのだけれども、宮内がヨシコに「おまえ、かわいい顔してるけど、けっこういいタマだな」と言い、ヨシコは「(わたしは)あなたみたいにウソはつかないわ」と言い返すシーンがなかなかのもので、何だかこの作品、死んだハツコ、そして被告のヒロシをめぐる、ヨシコと宮内とのドラマだったのではなかったかと思ってしまうのだった。じっさい、この二人を演じた大竹しのぶ渡瀬恒彦との演技は、この映画の大きな魅力になっていたと思う。

 監督は野村芳太郎で、「濫作」と言えるぐらい多くの作品をつくられているが、社会派的な意識を持ったミステリー仕立ての作品で評判をとった人だと思う。この作品では「法廷」という閉ざされた空間での展開が多く、映画空間を拡げるのに苦労されただろうが、まあうまく行っているとは思えなかったかな。
 脚本は新藤兼人で、原作のことを忘れている今、原作と比較することは出来ないけれども、先に書いたように映像として早い段階で「ネタバレ」してしまったのには疑問は残ったが、ヨシコと宮内に焦点をあてた作劇は、成功しているのではないかと思った。